木村美智男
木村 美智男(きむら みちお、1922年(大正11年)1月20日[1] - 1974年(昭和49年)6月28日[2][注釈 1])は、昭和期の労働運動家、政治家。参議院議員(1期)。
経歴
[編集]茨城県[注釈 2]那珂郡山方村(山方町[3]を経て現常陸大宮市)で生まれる。1937年(昭和12年)鉄道省(後の日本国有鉄道)に入省[2][3]。1941年(昭和16年)東京都立成立商業学校を卒業し、1943年(昭和18年)中央鉄道学園旧専門部を卒業した[2]。
1946年(昭和21年)国鉄労働組合(国労)の結成に参画[2][3]。東京電務区分会長、新橋支部執行委員長、国労本部中央執行委員、同教宣部長、同給与対策部長、同組織部長、同中央副執行委員長などを歴任[2][3]。1960年(昭和35年)安保闘争指導の理由で国鉄を解雇された[3]。
1951年(昭和26年)日本社会党に入党[3]。1965年(昭和40年)7月の第7回参議院議員通常選挙に全国区から社会党公認で立候補し当選[3][4]、参議院議員に1期在任した[2]。労働者福祉中央協議会副会長、全国物価対策協議会長、社会党交通基本政策委員会事務局長、同物価特別委員会事務局長などを務めた[2]。参議院議員任期途中の1969年(昭和44年)12月の第32回衆議院議員総選挙に東京都第5区から立候補(公示日の同年12月7日付で公職選挙法の規定により参議院議員を退職(自動失職))したが、次点で落選した[3][5]。その後、社会党中央統制委員、同党練馬総支部委員長、社会主義協会東京都支部代表などを務めた[3][6]。
1974年6月、第10回参議院議員通常選挙の選挙運動活動中に、池袋の平塚胃腸病院で腸閉塞の手術を受けたが死去した[3][6]。死没日をもって勲三等瑞宝章追贈、正五位に叙される[7]。