第1回参議院議員通常選挙
第1回参議院議員通常選挙 | |||
---|---|---|---|
内閣 | 第1次吉田内閣 | ||
公示日 | 1947年(昭和22年)3月20日 | ||
投票日 | 1947年(昭和22年)4月20日 | ||
選挙制度 | 地方区制 150 全国区制 100 | ||
改選数 | 250(うち125は任期3年) | ||
議席内訳 | |||
有権者 | 満20歳以上の日本国民 | ||
有権者数 | 4095万8588人 | ||
投票率 | 61.12% | ||
各党別勢力 | |||
党順 | 第1党 | 第2党 | 第3党 |
画像 | |||
党色 | |||
党名 | 日本社会党 | 日本自由党 | 日本民主党 |
党首 | 片山哲 | 吉田茂 | 芦田均 |
就任日 | 1946年9月28日 | 1946年8月18日 | 1947年5月18日 |
獲得議席 | 47 | 38 | 28 |
得票数(地) | 490万1341票 | 376万9704票 | 298万9132票 |
得票率(地) | 22.23% | 17.10% | 13.56% |
得票数(全) | 347万9814票 | 136万456票 | 150万8087票 |
得票率(全) | 16.36% | 6.40% | 7.09% |
党順 | 第4党 | 第5党 | |
画像 | |||
党色 | |||
党名 | 国民協同党 | 日本共産党 | |
党首 | 三木武夫 | 徳田球一 | |
就任日 | 1947年6月30日 | 1945年12月 | |
獲得議席 | 9 | 4 | |
得票数(地) | 97万8523票 | 82万5304票 | |
得票率(地) | 4.44% | 3.74% | |
得票数(全) | 54万9916票 | 61万948票 | |
得票率(全) | 2.59% | 2.87% | |
1950年 > | |||
第1回参議院議員通常選挙(だい1かいさんぎいんぎいんつうじょうせんきょ)は、1947年(昭和22年)4月20日に日本で行われた国会(参議院)議員の選挙である。
概要
[編集]この選挙は、日本国憲法の制定によって新しく設置された参議院における最初の選挙である。参議院議員の改選規定は日本国憲法第46条に定められているが、この選挙では第1期の参議院議員を選出したため、日本国憲法第102条の定めにより全議席の選出が行われ、当選者を当選順位に基づいて上位当選者と下位当選者の125人ずつ2つのグループに分けた。上位当選者の任期は規定どおりの6年として第3回参議院議員通常選挙における改選議席、下位当選者の任期は3年として第2回参議院議員通常選挙における改選議席とした。
なお、岐阜県選挙区では、定数2に立候補者が2名しかなく、無投票当選となった。そのため、どちらを上位当選者とするかはくじ引きで決定した。
選挙データ
[編集]内閣
[編集]- 第1次吉田茂内閣(第45代)
公示日
[編集]投票日
[編集]改選数
[編集]選挙制度
[編集]- 投票方法
-
- 秘密投票、単記投票、2票制(地方区・全国区)
- 選挙権
- 被選挙権
-
- 満30歳以上の日本国民
- 有権者数
-
- 40,958,588(男性:19,607,513 女性:21,351,075)[1]
選挙活動
[編集]- 立候補者数
-
- 577(地方区:331 全国区:246)
選挙結果
[編集]党派別獲得議席
[編集]党派 | 獲得 議席 | 地方区 | 全国区 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
議席 | 得票数 | 得票率 | 議席 | 得票数 | 得票率 | ||||
日本自由党 | 38 | 30 | 3,769,704 | 17.10% | 8 | 1,360,456 | 6.40% | ||
日本社会党 | 47 | 30 | 4,901,341 | 22.23% | 17 | 3,479,814 | 16.36% | ||
日本民主党 | 28 | 22 | 2,989,132 | 13.56% | 6 | 1,508,087 | 7.09% | ||
国民協同党 | 9 | 6 | 978,522 | 4.44% | 3 | 549,916 | 2.59% | ||
日本共産党 | 4 | 1 | 825,304 | 3.74% | 3 | 610,948 | 2.87% | ||
諸派 | 13 | 7 | 1,058,032 | 4.80% | 6 | 1,063,253 | 5.00% | ||
無所属 | 111 | 54 | 7,527,191 | 34.14% | 57 | 12,698,698 | 59.70% | ||
総計 | 250 | 150 | 22,049,226 | 100.0% | 100 | 21,271,172 | 100.0% | ||
有効票数(有効率) | 22,049,226 | 89.83% | 21,271,172 | 85.24% | |||||
無効票・白票数(無効率) | 2,497,308 | 10.17% | 3,684,218 | 14.76% | |||||
投票者数(投票率) | 24,546,534 | 61.12% | 24,955,390 | 60.93% | |||||
棄権者数(棄権率) | 15,617,646 | 38.88% | 16,003,198 | 39.07% | |||||
有権者数 | 40,958,588 | 100.0% | 40,958,588 | 100.0% | |||||
選挙実施区・有権者数 | 40,164,180 | 98.06% | 40,958,588 | 100.0% | |||||
無投票区・有権者数 | 794,408 | 11.94% | 0 | 0.00% | |||||
出典:主要政党の変遷と国会内勢力の推移 |
- 地方区投票率:61.12%
- 【 男性:68.60% 女性:54.24%】
- 全国区投票率:60.93%
- 【 男性:68.44% 女性:54.03%】
党派別当選者内訳
[編集]党派 | 計 | 男性 | 女性 | |
---|---|---|---|---|
日本社会党 | 47 | 44 | 3 | |
日本自由党 | 38 | 38 | 0 | |
日本民主党 | 28 | 26 | 2 | |
国民協同党 | 9 | 8 | 1 | |
日本共産党 | 4 | 4 | 0 | |
諸派 | 13 | 12 | 1 | |
無所属 | 111 | 108 | 3 | |
合計 | 250 | 240 | 10 | |
出典:『朝日選挙大観』 |
政党
[編集]- 諸派:13議席
- 2議席(2団体)
- 1議席(9団体)
議員
[編集]地方区当選者
[編集]日本自由党 日本社会党 日本民主党 国民協同党 日本共産党 諸派 無所属
※ 各選挙区上段は当選(任期6年)、下段は補欠当選(任期3年)
8人区 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
北海道 | 板谷順助[自 1] | 堀末治 | 千葉信[社 1] | 加賀操 | 東京都 | 桜内辰郎[民 1] | 吉川末次郎[社 2] | 島清[社 2] | 黒川武雄[自 1] |
若木勝蔵 | 木下源吾 | 町村敬貴 | 小林米三郎 | 帆足計 | 深川タマヱ | 西川昌夫[自 1] | 遠山丙市[自 1] |
6人区 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
愛知県 | 竹中七郎 | 山田佐一[自 1] | 山内卓郎 | 大阪府 | 岩木哲夫[民 1] | 森下政一[社 2] | 中井光次 | ||
佐伯卯四郎 | 草葉隆円[自 1] | 栗山良夫 | 左藤義詮[自 1] | 大屋晋三[自 1] | 村尾重雄 | ||||
兵庫県 | 原口忠次郎 | 八木幸吉 | 藤森真治 | 福岡県 | 野田俊作 | 波多野鼎[社 2] | 橋上保 | ||
赤木正雄 | 田口政五郎 | 小畑哲夫[民 2] | 浜田寅蔵[社 3] | 島田千寿 | 団伊能[自 1] |
補欠当選
[編集]年 | 月日 | 選挙区 | 当選者 | 所属党派 | 欠員 | 所属党派 | 欠員事由 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1947 | 8.1 | 滋賀県 | 西川甚五郎[自 1] | 日本自由党 | 猪飼清六 | 緑風会 | 1947.7.2辞職[辞 1][2] |
8.15 | 栃木県 | 岡田喜久治 | 日本民主党 | 殿岡利助 | 日本民主党 | 1947.7.2辞職[辞 1][2] | |
群馬県 | 境野清雄 | 日本民主党 | 竹腰徳蔵 | 日本民主党 | 1947失職[辞 1] | ||
徳島県 | 紅露みつ | 日本民主党 | 岸野牧夫 | 緑風会 | 1947.7.2辞職[辞 1][2] | ||
鹿児島県 | 前之園喜一郎 | 日本民主党 | 中馬猪之吉 | 緑風会 | 1947.6.28辞職[辞 1][3] | ||
岡元義人 | 無所属 | 上野喜左衛門 | 緑風会 | 1947.7.4辞職[辞 1][4] | |||
10.7 | 岩手県 | 川村松助[自 1] | 日本自由党 | 出淵勝次 | 緑風会 | 1947.8.19死去 | |
1948 | 1.11 | 長崎県 | 門屋盛一 | 日本民主党 | 清水武夫 | 日本社会党 | 1947.11.22死去 |
2.5 | 長野県 | 池田宇右衛門[自 1] | 日本自由党 | 木下盛雄 | 日本自由党 | 1947.12.18死去 | |
2.15 | 熊本県 | 城義臣[自 1] | 日本自由党 | 堀内到 | 日本社会党 | 1947.12.21死去 | |
6.18 | 奈良県 | 藤枝昭信 | 日本社会党 | 服部教一 | 無所属 | 1948.5.8失職[辞 1][5] | |
1949 | 6.3 | 兵庫県 | 横尾龍[自 2] | 民主自由党[注 1] | 八木幸吉 | 無所属 | 1947.5.27失職[辞 1][6] |
12.24 | 福島県 | 石原幹市郎[自 2] | 民主自由党 | 松平恆雄 | 緑風会 | 1949.11.14死去 | |
1950 | 1.12 | 兵庫県 | 岡崎真一[自 2] | 民主自由党 | 原口忠次郎 | 日本社会党 | 1949.11.29辞職[辞 2][7] |
1.17 | 福岡県 | 吉田法晴[社 5] | 日本社会党 | 橋上保 | 日本民主党 | 1949.11.26死去[7] | |
11.3 | 茨城県 | 宮田重文 | 自由党[注 2] | 柴田政次 | 自由党 | 1950.9.15死去 | |
12.20 | 広島県 | 楠瀬常猪 | 自由党 | 佐々木鹿蔵 | 自由党 | 1950.11.2死去 | |
1951 | 4.21 | 愛媛県 | 玉柳実 | 無所属 | 久松定武 | 緑風会 | 1951.3.31辞職[辞 3][8] |
5.16 | 大阪府 | 中山福蔵 | 緑風会 | 中井光次 | 国民民主党 | 1951.3.31辞職[辞 4][8] | |
溝淵春次 | 自由党 | 森下政一 | 右派社会党 | 1951.3.31辞職[辞 4][8] | |||
1952 | 10.20 | 熊本県 | 松野鶴平 | 自由党 | 田方進 | 自由党 | 1952.9.2辞職[辞 5] |
出典:戦後の補欠選挙 |
全国区当選者
[編集]日本自由党 日本社会党 日本民主党 国民協同党 日本共産党 諸派 無所属
※ 1-50位が当選(任期6年)、51-100位が補欠当選(任期3年)
1-10 | 星一 | 柳川宗左衛門 | 早川愼一 | 松本治一郎 | 高橋龍太郎 | 田中耕太郎 | 梅原真隆 | 佐々木良作 | 山本勇造 | 尾崎行輝 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
11-20 | 堀越儀郎 | 柏木庫治 | 伊藤保平 | 西園寺公一 | 岡部常 | 膳桂之助 | 西田天香 | 赤松常子 | 岩間正男 | 徳川宗敬 |
21-30 | 和田博雄 | 鈴木清一 | 広瀬与兵衛 | 宮城タマヨ | 大野幸一 | 楠見義男 | 東浦庄治 | 奥むめお | 原虎一 | 高瀬荘太郎 |
31-40 | 木下辰雄 | 金子洋文 | 青山正一 | 高良とみ[民 5] | 河崎ナツ | 岡田宗司 | 木内キヤウ[民 6] | 大隈信幸[民 6] | 慶松勝左衛門 | 稲垣平太郎[民 6] |
41-50 | 水橋藤作 | 高田寛 | 兼岩傳一 | 中村正雄 | 鈴木直人 | 荒井八郎[自 3] | 岡村文四郎 | 鬼丸義斎 | 井上なつゑ | 小泉秀吉 |
51-60 | 岡本愛祐 | 川上嘉 | 中山寿彦 | 中川以良 | 丹羽五郎 | 羽仁五郎 | 寺尾豊[自 1] | 下條康麿 | 河野正夫 | 佐々弘雄 |
61-70 | 重宗雄三 | 宿谷栄一 | 市來乙彦 | 安部定 | 大西十寸男 | 藤井新一 | 水久保甚作[自 1] | 鎌田逸郎 | 中野重治 | 安達良助[民 6] |
71-80 | 堀真琴 | 松野喜内[自 1] | 木村禧八郎 | 寺尾博 | 穂積真六郎 | 矢野酉雄 | 藤井丙午 | 飯田精太郎 | 小川友三 | 小野光洋[自 1] |
81-90 | 塚本重蔵 | 松井道夫 | 吉松喬 | 星野芳樹 | 北条秀一 | 三島通陽 | 小林勝馬 | 中西功 | 来馬琢道 | 新谷寅三郎 |
91-100 | 松嶋喜作[自 1] | 内村清次 | 大山安 | 浅岡信夫[自 1] | 江熊哲翁 | 松村真一郎 | 伊東隆治 | 細川嘉六 | 小杉イ子 | 仲子隆 |
- 16位の膳桂之助の当選辞退で、51位の岡本愛祐は繰上となり、任期が3年から6年と変更された。
繰上当選
[編集]年 | 月日 | 当選者 | 所属党派 | 欠員 | 所属党派 | 欠員事由 |
---|---|---|---|---|---|---|
1947 | 4 | 国井淳一 | 無所属 | 膳桂之助 | 無所属 | 当選辞退[辞 1][9] |
- | (欠員) | 慶松勝左衛門 | 日本自由党 | 1947.7.15失職[辞 1] | ||
1950 | - | (欠員) | 荒井八郎 | 民主自由党 | 1950.1.11死去 |
- 国井の任期は3年。
選挙後
[編集]国会
[編集]- 第1特別国会
- 会期:1947年(昭和22年)5月20日 - 12月9日
- 参議院議長選挙
- 第1回投票(投票総数:221票 過半数:111票)
- 決選投票(投票総数:223票 過半数:112票)
- 松平恒雄(緑風会) :128票
- 櫻内辰郎(民主党) : 95票
- 参議院副議長選挙(投票総数:228票 過半数:115票)
- 首班指名選挙(投票総数:207票 過半数:104票)
- 第6臨時国会
- 会期:1949年(昭和24年)10月25日 - 12月3日
- 参議院議長選挙(投票総数:187票 過半数:94票)[10]
政党
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
脚注
[編集]注釈
[編集]当選者注釈
[編集]- 日本自由党(民主自由党・自由党)関連
- 日本社会党関連
- 日本民主党関連
- 国民協同党関連
- 日本共産党関連
- 諸派関連
- 無所属関連
- ^ 民主党に入党、連立派、民主自由党を経て、自由党結成に参画。
- 辞職
出典
[編集]- ^ 有権者数及び投票率の推移 - 鳥取県選挙管理委員会
- ^ a b c 『官報号外』昭和22年7月3日 第1回国会 参議院本会議会議録第9号 p.1
- ^ 『官報号外』昭和22年6月29日 第1回国会 参議院本会議会議録第7号 p.15
- ^ 『官報号外』昭和22年7月5日 第1回国会 参議院本会議会議録第11号 p.1
- ^ 『官報号外』昭和23年5月17日 第2回国会 参議院予算委員会会議録第22号 p.1
- ^ 『官報号外』昭和22年6月4日 第1回国会 参議院本会議会議録第5号 p.1
- ^ a b 『官報号外』昭和24年11月30日 第6回国会 参議院本会議会議録第21号 p.3
- ^ a b c 『官報号外』昭和26年3月31日 第10回国会 参議院本会議会議録第35号(その1) p.75
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』540頁。
- ^ 官報号外「第6回国会参議院会議録第11号」、昭和24年11月16日
参考文献
[編集]- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 佐藤令 (2005年12月). “戦後の補欠選挙” (PDF). 国立国会図書館. 2016年5月26日閲覧。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 参議院選挙おわる - NHK放送史
- 参議院議員通常選挙の定数,立候補者数,選挙当日有権者数,投票者数及び投票率(昭和22年~平成16年) - 総務省統計局アーカイブ
- 参議院議員通常選挙の男女別立候補者数,当選者数及び当選率(昭和22年~平成16年) - 総務省統計局アーカイブ
- 参議院議員通常選挙の党派別当選者数及び得票数(昭和22年~平成16年) - 総務省統計局アーカイブ