柳生藩
柳生藩(やぎゅうはん)は、大和国添上郡柳生郷(現奈良市柳生地区)を治めた藩。石高1万石程度の小藩であったが、藩主家の柳生家(江戸柳生家)は代々将軍家の剣術指南役として幕閣に重きをなした。藩庁は柳生陣屋。
藩史
[編集]藩祖である宗矩の死後、1万2500石の所領は、有名な長男の柳生三厳(十兵衛)に8300石、三男の柳生宗冬に4000石、四男の六丸(列堂義仙)に200石、と分知されたため、柳生家は大名から旗本となった。三巌の死後、宗冬がその家督と遺領を継ぎ(4000石は幕府に返上)、さらに寛文8年(1668年)1700石を加増され、1万石を領する大名に復帰する。藩庁は柳生陣屋。
代々の藩主は将軍家の剣術指南役を務めるため、江戸に定府していた。
以後、柳生家が13代にわたって支配し、明治時代を迎えた。
歴代藩主
[編集]- 柳生家
譜代 - 1万2500石→8300石(旗本)→1万石
代 | 氏名 | 院号 | 官位 | 在職期間 | 享年 | 養子元の氏 |
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1 | 柳生宗矩 やぎゅう むねのり | 芳徳院 | 従四位下 但馬守 | 寛永13年 - 正保3年 1636年 - 1646年 | 76 | |
(2) | 柳生三厳 やぎゅう みつよし | 長岩院 | - | 正保3年 - 慶安3年 1646年 - 1650年 | 44 | |
3 | 柳生宗冬 やぎゅう むねふゆ | - | 飛騨守 | 寛文8年 - 延宝3年 1668年 - 1675年 | 63? | |
4 | 柳生宗在 やぎゅう むねあり | 寂光院 | 従五位下 対馬守 | 延宝3年 - 元禄2年 1675年 - 1689年 | 36 | |
5 | 柳生俊方 やぎゅう としかた | - | 従五位下 備前守 | 元禄2年 - 享保15年 1689年 - 1730年 | 58 | |
6 | 柳生俊平 やぎゅう としひら | 得心院 | 従五位下 飛騨守 | 享保15年 - 寛保2年 1730年 - 1742年 | 70 | 久松松平家 |
7 | 柳生俊峯 やぎゅう としみね | 大心院 | 従五位下 備前守 | 寛保2年 - 宝暦13年 1742年 - 1763年 | 45 | 真田家 |
8 | 柳生俊則 やぎゅう としのり | - | 従五位下 但馬守 | 宝暦13年 - 文化4年 1763年 - 1807年 | 87 | 松前家 |
9 | 柳生俊豊 やぎゅう としとよ | - | 従五位下 飛騨守 | 文化4年 - 文政3年 1807年 - 1820年 | 31 | |
10 | 柳生俊章 やぎゅう としあきら | 大機院 | 従五位下 飛騨守 | 文政3年 - 嘉永2年 1820年 - 1849年 | 54 | |
11 | 柳生俊能 やぎゅう としよし | 大源院 | 従五位下 飛騨守 | 嘉永2年 - 嘉永3年 1849年 - 1850年 | 21 | 田沼家 |
12 | 柳生俊順 やぎゅう としむね | 陽徳院 | 従五位下 但馬守 | 嘉永3年 - 文久2年 1850年 - 1862年 | 27 | 高家武田家 |
13 | 柳生俊益 やぎゅう とします | 雄心院 | 従五位下 但馬守 | 文久2年 - 明治2年 1862年 - 1869年 | 77 | 高家武田家 |
幕末の領地
[編集]明治維新後に、添上郡1村で相給となっていた旗本領と、山辺郡2村(旧津藩領1村、柳本藩領1村)が加わった。
関連項目
[編集]先代 (大和国) | 行政区の変遷 1636年 - 1871年 (柳生藩→柳生県) | 次代 奈良県(第1次) |