森川葵村
森川 葵村(もりかわ きそん、 1889年(明治22年)3月8日 - 1979年(昭和54年)8月1日)は、大正・昭和期の日本の詩人、実業家。本名は森川 勝次[1]。
来歴
[編集]東京市下谷区入谷町(現・東京都台東区)に生まれる[2]。旧制京北中学校在学中、同窓の飯田蛇笏らと交流を深める[1][3]。1910年に東京高等商業学校(のちの一橋大学)本科を卒業し[2][4]、引き続いて在籍した同専攻部計理科を1912年に卒業した[5]。
在学中、三木露風一派の詩人として活躍し[2]、三井物産に入社後[2]、朝鮮火薬銃砲常務取締役[6]、同社専務取締役[7]、帝国火薬工業営業部長[8]、日本油脂営業部長等を歴任した[7]。
57歳で秋田県の寒村に疎開後詩作を再開し[2][9][10]、第二次世界大戦後は北洋火薬(のちの日本化薬)社長などを務めた[2][9][11]。1979年に老衰のため91歳で死去した[12]。
詩集
[編集]- 『雪の言葉』葵村舎 1965年
脚注
[編集]- ^ a b 日本文学大辞典 第3巻
- ^ a b c d e f 「森川 葵村」『20世紀日本人名事典』 。コトバンクより2024年3月25日閲覧。
- ^ 『歿後五十年 飯田蛇笏展』6頁。
- ^ 官報 1910年07月09日
- ^ 官報 1912年07月11日
- ^ 日本工業要鑑 大正15年度用(第16版)
- ^ a b 人事興信録 第12版(昭和14年) 下
- ^ ポケツト会社職員録 昭和12・13年版
- ^ a b 『明治文学全集 61』筑摩書房、1975年、[要ページ番号]
- ^ 森川葵村『雪の言葉 : 詩集』葵村舎、1965年、[要ページ番号]
- ^ 沿革図_日本化薬_1707日本化薬
- ^ 『工業火薬 Journal of the Industrial Explosives Society, Japan』第40巻第4号、工業火薬協会、1979年7月。[要ページ番号]