横越町
よこごしまち 横越町 | |||||
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廃止日 | 2005年3月21日 | ||||
廃止理由 | 編入合併 豊栄市、新津市、白根市、亀田町、小須戸町、横越町、西川町、味方村、月潟村、中之口村、潟東村、岩室村 → 新潟市 | ||||
現在の自治体 | 新潟市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 中部地方、北陸地方 甲信越地方 | ||||
都道府県 | 新潟県 | ||||
郡 | 中蒲原郡 | ||||
市町村コード | 15323-1 | ||||
面積 | 23.62 km2 | ||||
総人口 | 11,543人 (推計人口、2005年3月1日) | ||||
隣接自治体 | 新潟市、豊栄市、阿賀野市、新津市、亀田町 | ||||
町の花 | チューリップ | ||||
横越町役場 | |||||
所在地 | 〒950-0292 新潟県中蒲原郡横越町中央一丁目1番1号 画像は現在の新潟市江南区役所横越出張所(旧横越町役場) | ||||
外部リンク | 新潟市江南区役所 | ||||
座標 | 北緯37度51分23秒 東経139度08分44秒 / 北緯37.85628度 東経139.14569度座標: 北緯37度51分23秒 東経139度08分44秒 / 北緯37.85628度 東経139.14569度 | ||||
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横越町(よこごしまち)は、新潟県中蒲原郡に属した町。2005年3月21日の新潟市への編入合併によって消滅し、現在は新潟市の政令指定都市移行により大部分が江南区の一部となっており、十二前および大字小杉・横越の各一部が北区となっている[1]。
以下の記述は合併直前当時の旧横越町に関しての記述であり、現在では名称等が異なる場合がある。なお、ここに記述されていない内容に関しては江南区 (新潟市)#横越地区などの記事を参照。
新潟市(旧西蒲原郡黒埼町を除く)への通勤率は35.4%・亀田町への通勤率は12.3%(いずれも平成12年国勢調査)。
地理
[編集]歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い中蒲原郡横越村が村制施行し、横越村(よこごしむら)が発足。
- 1901年(明治34年)11月1日 - 中蒲原郡沢海村、木津村、二本木村、小杉村と合併し、横越村を新設。
- 1966年(昭和41年)5月1日 - 北蒲原郡豊栄町、京ヶ瀬村と境界の一部を変更。
- 1996年(平成8年)11月1日 - 町制施行し横越町となる。
- 2005年(平成17年)3月21日 - 新潟市に編入され消滅。
- 詳細は新潟市の行政区域の変遷を参照。
地域
[編集]行政
[編集]- 町長:浅見良一(1996年11月1日から)(村長としては1983年5月1日から)
姉妹都市
[編集]教育
[編集]- 横越中学校
- 横越小学校
文化施設
[編集]交通
[編集]道路
鉄道
- 町西部をJR信越本線が通っているが、町域に駅はない。
バス
脚注
[編集]注釈
出典
- ^ “町名一覧表、住居表示・町名変更実施一覧(平成22年4月以降実施分)”. 新潟市. 2021年10月27日閲覧。
- ^ 【Japanese Family and Society / Words from Tongo Takebe, A Meiji Era Sociologist】( Teruhito Sako,PhD Suzanne K. Steinmetz,PhD,MSW 共著 / The Haworth Press (New York) 刊,2007)
- ^ 【Toshie: A Story of Village Life in 20th Cent. Japan】( Simon Partner 著 / University of California Press 刊,2004 )P.3
- ^ 「横越うぐいすタウンの街なみづくり」『ボンエルフ』第102巻、住宅生産振興財団、1996年6月、2頁。
- ^ 「横越うぐいすタウン」『家とまちなみ』第35巻、住宅生産振興財団、1997年3月。
- ^ 昭和20年7月20日/B29/#44-70116/ Sharon Linn /新潟県新潟市江南区阿賀野 /対空砲火/7名捕虜 新潟港に対する機雷投下を完了後、新潟上空で高射砲弾が左翼を直撃、エンジン2基を発火させながら阿賀野川沿いに旧横越町上空を南下した。Jordan大尉は急降下による消火を試みたが失敗、阿賀浦橋手前で阿賀野市京ヶ瀬方面に反転、左翼が機体から脱落し、阿賀野1丁目の田園に墜落した。墜落以前に脱出した7人は旧京ヶ瀬村小河原、前山、関屋、京ヶ島地区で警防団、村民に拘束され、京ヶ瀬村役場、横越村役場を経由して新潟地区憲兵隊司令部から東部憲兵隊司令部送致となり、終戦に伴い大森俘虜収容所に移送、帰国した。横越村役場では、東京から疎開していた老婆がノコギリを持って搭乗員たちに襲い掛かったが、憲兵隊員に阻止された。墜落現場では、見物のための渡し舟が転覆、9人が水死したという。機体残骸は新潟市の白山神社に運ばれ22-29日の間、展示された。公式記録では墜落時に死亡していたとされた4人のうち「少なくとも2人」は、拘束時に警防団員と銃撃戦となり、悲劇的結果となったと伝えられる。死体は首に縄を巻きつけて曳かれ、旧焼山地区の南はずれに埋められた。
- ^ 【GLIMPSES OF JAPAN】
- ^ 【The B-29 Superfortress Chronology, 1934-1960 著者: Robert A. Mann】
- ^ 【B-29-80-BW "Sharon Linn" Serial Number 44-70116 Tail ®】
- ^ 【Field of Spears: The Last Mission of the Jordan Crew】 Gregory Hadley 著者 Paulownia Press,UK ,2007
- ^ 真実を客観的に、思いやりこめて告げる グレゴリー・ハドリー【Field of Spears: The Last Mission of the Jordan Crew】著者
- ^ 【Toshie: A Story of Village Life in 20th Cent. Japan】( Simon Partner 著 / University of California Press 刊,2004 )P.4
参考文献
[編集]- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。
- 角川日本地名大辞典 編纂委員会『角川日本地名大辞典 15 新潟県』(株)角川書店、1989年10月8日。ISBN 4-04-001150-3。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 新潟市江南区役所
- 広報よこごしバックナンバー - 新潟市立図書館
- 横越町(2005/03/07アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project