渡波
渡波 | |
---|---|
大字 | |
サン・ファン・バウティスタ号(復元) | |
国 | 日本 |
都道府県 | 宮城県 |
市町村 | 石巻市 |
地域 | 本庁地域 |
地区 | 渡波地区 |
人口情報(2024年(令和6年)5月現在[1]) | |
人口 | 5,391 人 |
世帯数 | 2,539 世帯 |
設置日 | 1959年(昭和34年)4月 |
郵便番号 | 986-2235[2] |
市外局番 | 0225[3] |
ナンバープレート | 宮城 |
運輸局住所コード[4] | 04501-0600 |
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渡波(わたのは)は、宮城県石巻市にある大字および地区名(後述)[5]。旧牡鹿郡根岸村端郷渡波町の一部、旧牡鹿郡渡波町根岸・祝田浜・佐須浜の各一部に相当する[5]。郵便番号は986-2235[2]。
地理
[編集]石巻市の東部に位置しており、住所表示変更により、2つの飛び地が発生している。これは昭和42年から昭和50年までの度重なる住居表示変更により、渡波町、幸町、塩富町、伊勢町、浜松町、松原町、万石町、三和町、大宮町、後生町、長浜町、新成、さくら町が分離独立したことによる[5]。域内は国道398号、JR石巻線が走っており、渡波駅を中心に栄えている。北部は森林や田畑があり、南部は石巻湾に、東部は万石浦に面している。
地価
[編集]2020年(令和2年)時点での渡波字根岸前58番22での公示地価は27,700円/m2になっている [6]。
祝田
[編集]祝田(いわいだ)は渡波域内の一地区の名称であり、旧牡鹿郡祝田浜に相当し、万石浦の南岸に位置する[7]。古くは岩井田とも記された[注 1][7]。
安永2年の代数有之御百姓書出によれば、天文年間に肥後国の浪人、佐々木肥後という者がこの地に居住し開墾に着手したことが集落の起源であるとされる[8][9]。江戸期は牡鹿郡浜方狐崎組大肝煎扱いの村で牡鹿郡万御改書上では元禄年間の村高は16石余、人口175人、集落の規模は東西1里15間[注 2]、南北1里1町13間[注 3]であったと記されている[8][10]。
佐須
[編集]佐須(さす)は渡波域内の一地区の名称であり、旧牡鹿郡佐須浜に相当し、万石浦の入口で石巻湾に面した海岸に位置する[11]。古くは指浜、目指浜とも呼ばれた[11][10]。
宮城県地名考によると佐須とは焼畑のことを指し、焼畑により開拓が進められた土地であったことが地名の由来とされる[11][12]。江戸期は牡鹿郡浜方狐崎組大肝煎扱いの村で牡鹿郡万御改書上では元禄年間の村高は8石余、人口292人、集落の規模は東西15町40間[注 4]、南北3町[注 5]であったと記されている[11][13]。
封内風土記によると、村社は尾崎神社、村寺は曹洞宗柳沢山洞源院であったとされる[11]。尾崎神社付近にはオオバボダイジュ、ケヤキ、カシワ、エゾイタヤなどを混成するイヌシデ林がある[14]。
歴史
[編集]「渡波」の名の史料上の初見は1698年(元禄11年)5月15日成立の牡鹿郡萬御改書上であるとされる[7]。ただ、1773年(安永2年)3月成立の根岸村端郷渡波町風土記御用書出には、
本町ハ寛永十八年、裏町ハ延宝八年宿場ニ被相立候事
とあるため、元禄の牡鹿郡萬御改書上成立以前の未発見文書資料の存在も考えられる[7]。
根岸村の端郷として扱われていたが、江戸期になると大金寺参詣者のための万石浦-山鳥渡間客船および五十集船の泊地、参詣客や塩田関係者などで賑わう宿場町として繁栄するに従い、根岸村の中心は根岸本郷から端郷渡波へと移っていった[7]。
また、古くは金華山へ参詣するには牡鹿半島を縦断する金華山道で鮎川浜までの10余里を歩く必要があったが、歩き通すのが困難なため、万石浦から船に乗り島へ向かう人も多く、泊地及び宿場町として栄えた。
1960年まで東名塩田(現:東松島市に所在地)とともに県下の二大塩田と呼ばれた渡波塩田があった。渡波塩田は、入浜式塩田に部類され、1626年(寛永3年)に造営された塩田であり、1807年(文化4年)時点で仙台藩領内の産塩高の45%を占めている[15]。その起源は、流留村の菊地与惣右衛門が上方旅行の際に、江戸湾の行徳塩田へと立ち寄り、技術者二名を連れ帰ったことから始まるとされる[15]。
沿革
[編集]- 文久元年 - 渡波町の海岸通りで火事がおこる[8]。
- 1889年(明治22年)4月 - 牡鹿郡根岸村、同郡祝田浜、同郡佐須浜が合併し、牡鹿郡渡波町が成立[8]。
- 1959年(昭和34年)4月 - 牡鹿郡渡波町が石巻市へと吸収合併されるに伴い、石巻市渡波が成立[9]。
- 1967年(昭和42年) - 渡波から渡波町1丁目から渡波町3丁目が分離独立、以前は渡波字下伊勢谷、駅前、念仏壇、本町、裏町、中町、肴町の一部であった[5]。
- 1975年(昭和50年)4月8日 - 曹洞宗柳沢山洞源院が山号を輝寶山に変える[16]。
- 2017年(平成29年)1月20日 - 渡波からさくら町が分離成立する[17]。
- 2021年3月30日 - 都市計画道路渡波稲井線が開通[18]。
名称の由来
[編集]諸説あるが、安永風土記は渡波の名称の由来について
当郡渡波町は奥海入江口波折渡之跡自然と汐干潟陸地ニ罷成、天文年中之此ゟ段々御百姓住居仕候ニ付、波打渡之跡村ニ罷成候間、渡波町と申唱来候由申伝候方
とあり、開発当初は「波打渡の渚村」と呼んだが名前が長すぎたので渡波と改称されたと記されている[7]。
その他、入江を意味するアイヌ語の「ワッタリ」が転訛したことに由来するという説もある[7]。
施設
[編集]- 石巻市立万石浦小学校(渡波字境釜1-1)[19]
- 渡波尾埼灯台(渡波字本網2)
- 宮城県慶長使節船ミュージアム(渡波字大森30-2)[20]
- 宮城県水産技術総合センター(渡波字袖ノ浜97-6)[21]
交通
[編集]道路・橋梁
[編集]- 国道398号
- 宮城県道2号石巻鮎川線
- 都市計画道路渡波稲井線[18]
- サン・ファントンネル[22]
バス
[編集]鉄道
[編集]小字
[編集]- 青木浜
- 旭ヶ浦
- 犬谷
- 祝田
- 祝田の壱
- 祝田藤ヶ崎
- 牛若山
- 卯津木花
- 大岩
- 大畑
- 大浜
- 大林下
- 大森
- 沖六勺
- 沖曽根
- 沖ノ松井
- 蟹ヶ沢
- 上伊勢谷地
- 上榎壇
- 際
- 際前
- 栗林
- クルミ浜
- 黄金浜
- 小法師
- 境釜
- 栄田
- 佐須
- 佐須藤ヶ崎
- 山居
- 鹿松
- 鹿松山
- 渋井
- 下榎壇
- 新釜
- 新千刈
- 新沼
- 神明
- 地竹
- 須崎浜
- 千刈田
- 袖ノ浜
- 転石山
- 鳥ノ巣
- 土屋敷
- 中三勺
- 梨木畑
- 西ヶ崎
- 仁田山
- 根岸前
- 念仏壇
- 長浜
- 橋下
- 八幡山
- 花立山
- 浜曽根
- 浜曽根の壱
- 浜曽根山
- 早坂山
- 狸荒(まみあら)[26]
- 満和多(まわた)[27]
- 道屋敷
- 貂坂山(むじなざかやま)[28]
- 本網
- 四勺
- 屋敷浜
- 山崎
安永期にみえる小字
[編集]安永風土記御用書出によると安永2年時点での根岸村端郷渡波町の小字は以下の通りである[29]。
- 本町
- 南町
- 裏町
- 新田町
- 新町
- 谷地
- 濱新田
- 長濱
- 鳥濱
- 松原
- 谷地中
- 六軒町
- 肥後橋
明治期にみえる小字
[編集]明治期、後に大字渡波となる地域には根岸村、祝田浜、佐須浜が存在していたため、宮城県各村字調書に記載されている根岸村、祝田浜、佐須浜の明治17、18年頃の小字を挙げる[30][31]。
- 根岸村
- 山伏
- 戸ノ入
- 際
- 上南沼
- 鴨田
- 小法師
- 谷地頭
- 下南沼
- 橋下
- 西
- 不動下
- 韮塚(ひるつか)
- 渋井
- 南大沼
- 北大沼
- 沖曽根
- 曽根
- 山下
- 堤下
- 卵ツ木花
- 三枚田
- 千刈
- 千刈田
- 栗林
- 西ケ崎
- 山崎
- 二ツ壇
- 明神前
- 沖ノ松井
- 万海壇
- 南万海壇
- 上榎壇
- 下榎壇
- 念仏壇
- 後生橋
- 新田町
- 六軒丁
- 裏町
- 新町
- 肴町
- 渡波本町
- 中町
- 南町
- 長浜
- 大宮町
- 七軒丁
- 下伊勢谷地
- 南伊勢谷地
- 上伊勢谷地
- 浜曽根
- 庵ノ平
- 狸坂山
- 下水抜山
- 上水抜山
- 早坂山
- 入ノ沢
- 宮ノ下
- 熊野山
- 坂下山
- 大和田
- 広見
- 中
- 竹ノ下
- 戸ノ入山
- 山下山
- 水戸垣山
- 船林山
- 大林山
- 小法師山
- 白石窪山
- 大柵山
- 鹿ノ松山
- 不動下山
- 松前山
- 前三句
- 新釜
- 沖六勺一番~六番
- 中三勺一番~三番
- 鳥ノ巣一番〜二番
- 四勺一番~四句三番
- 境釜
- 岸釜
- 明神釜
- 石田釜
- 松前東
- 祝田浜
- 上池ノ尻
- 台畑
- 遠田
- 梨木畑
- 的場
- 大森
- 遠田畑
- 家ノ上
- サメシマ
- 細寄
- 池ノ平
- 姥ケ浜
- ヒツ浦
- 元木戸
- 上田和
- 大浜
- 前山
- 屋敷浜
- 蟹ケ沢山
- 大森山
- 荒具山
- 曲リ山
- 犬谷山
- 遠田山
- 清水山
- 八幡山
- 仁田山
- 元木戸山
- 池ノ尻
- 鮫島山
- 神明山
- 西ノ入山
- クルミ浜山
- クルミ山
- 家ノ上山
- 斎ノ神山
- ヒツ浦山
- 大畑山
- 上ノ山
- クミダ山
- 清水田山
- 藤ヶ崎山
- 地竹浜山
- 一本杉山
- 屋敷浜山
- 須崎浜山
- 花立山
- 牛若山
- 佐須浜
- 屋敷畑
- 田ノ浜
- 神ノ浜
- 伊勢畑
- 韮崎
- 横道下
- 伊勢
- 坂ノ山
- 横道上
- 家ノ上山
- 藤ケ崎山
- 大峯山
- 三年林山
- マミアラ山
- 入山
- 袖向山
- 犬唱山(いぬなかせやま)
- 物見石山
- マワタ山
- 水流山
- 道屋敷山
- 立石山
- 念仏山
- 本網山
- 臼根山
- 山居山
学区
[編集]以下の小字の児童は石巻市立万石浦小学校・石巻市立万石浦中学校に進学、それ以外の小字は石巻市立渡波小学校・石巻市立渡波中学校に進学する[32][33]。
- 旭ヶ浦(123番地から147番地まで)
- 念仏壇(1番地から45番地まで。ただし、43番地1を除く。)
- 祝田
- 祝田の壱
- 神明
- 大森
- 梨木畑
- 大浜
- クルミ浜
- 大畑
- 花立山
- 佐須
- 山居
- 佐須藤ヶ崎
- 袖の浜
- 鳥ノ巣
- 中三勺
- 四勺
- 沖六勺
- 境釜
- 新釜
人口
[編集]2024年(令和6年)5月末時点での域内の人口は以下の通りである[1]。
小字 | 世帯数 | 男 | 女 | 計 |
---|---|---|---|---|
四勺 | 8世帯 | 8人 | 10人 | 18人 |
旭ケ浦 | 149世帯 | 135人 | 157人 | 292人 |
祝田 | 36世帯 | 35人 | 37人 | 72人 |
祝田の壱 | 24世帯 | 32人 | 26人 | 58人 |
卯津木花 | 8世帯 | 8人 | 8人 | 16人 |
大浜 | 1世帯 | 1人 | 1人 | 2人 |
大林下 | 1世帯 | 1人 | 1人 | 2人 |
大森 | 9世帯 | 7人 | 8人 | 15人 |
沖六勺 | 132世帯 | 153人 | 177人 | 330人 |
沖曽根 | 1世帯 | 0人 | 1人 | 1人 |
沖ノ松井 | 2世帯 | 3人 | 4人 | 7人 |
上伊勢谷地 | 2世帯 | 3人 | 2人 | 5人 |
上榎壇 | 17世帯 | 20人 | 24人 | 44人 |
際 | 16世帯 | 13人 | 16人 | 29人 |
際前 | 11世帯 | 8人 | 14人 | 22人 |
栗林 | 3世帯 | 5人 | 3人 | 8人 |
黄金浜 | 594世帯 | 643人 | 618人 | 1,261人 |
小法師 | 10世帯 | 9人 | 12人 | 21人 |
栄田 | 442世帯 | 459人 | 503人 | 962人 |
佐須 | 17世帯 | 17人 | 15人 | 32人 |
佐須藤ケ崎 | 3世帯 | 5人 | 3人 | 8人 |
山居 | 1世帯 | 1人 | 0人 | 1人 |
鹿松 | 22世帯 | 17人 | 26人 | 43人 |
渋井 | 4世帯 | 6人 | 8人 | 14人 |
下榎壇 | 115世帯 | 135人 | 138人 | 273人 |
新千刈 | 110世帯 | 102人 | 119人 | 221人 |
新沼 | 268世帯 | 242人 | 279人 | 521人 |
神明 | 15世帯 | 14人 | 12人 | 26人 |
千刈田 | 9世帯 | 11人 | 9人 | 20人 |
転石山 | 7世帯 | 7人 | 11人 | 18人 |
鳥ノ巣 | 92世帯 | 101人 | 100人 | 201人 |
中三勺 | 81世帯 | 108人 | 107人 | 214人 |
梨木畑 | 83世帯 | 85人 | 57人 | 142人 |
西ケ崎 | 10世帯 | 10人 | 11人 | 21人 |
仁田山 | 1世帯 | 1人 | 1人 | 2人 |
根岸前 | 101世帯 | 105人 | 85人 | 190人 |
念仏壇 | 85世帯 | 92人 | 80人 | 172人 |
橋下 | 4世帯 | 5人 | 6人 | 11人 |
浜曽根の壱 | 21世帯 | 22人 | 18人 | 40人 |
浜曽根山 | 10世帯 | 8人 | 8人 | 16人 |
早坂山 | 1世帯 | 0人 | 1人 | 1人 |
不動下 | 1世帯 | 2人 | 1人 | 3人 |
山崎 | 12世帯 | 18人 | 17人 | 35人 |
合計 | 2,539世帯 | 2,657人 | 2,734人 | 5,391人 |
東日本大震災
[編集]渡波での東日本大震災の震度は概ね5弱で[34]、域内の犠牲者は230人で石巻市内で最も多かった[35]。また、域内の世代・男女別の犠牲者・死亡率は以下の通りである。
世代と性別 | 犠牲者 | 死亡率 |
---|---|---|
男性 | 96人 | 2.68% |
女性 | 134人 | 3.55% |
15歳未満 | 16人 | 1.42% |
15 - 64歳 | 82人 | 1.78% |
65歳以上 | 132人 | 8.24% |
合計 | 230人 | 3.13% |
寺社仏閣
[編集]- 尾崎神社 - 祭神は大海津見神[36]。1874年(明治7年)4月、佐須浜の村社となった[36]。
- 日蓮宗神明山法音寺[37]
- 曹洞宗輝寶山洞源院 - 本尊は聖観世音菩薩[16]。江戸期には、石巻-江戸間を往来する千石船の乗船員の航海安全のため、「八大竜王神」を勧請奉安して祈祷の道場として栄え、円光庵、威光庵、柳光庵が建立されたが、明治時代になり、廃仏毀釈の煽りを受けて全て廃寺になった[16]。
渡波地域
[編集]渡波地域(わたのはちいき)もしくは渡波地区(わたのはちく)は石巻市渡波支所の管区内にある地域の名前である。石巻市本庁地区のうち、旧渡波町域に概ね相当する。東は万石浦、西は本庁石巻地域、北は本庁稲井地域、南は太平洋に接する。
概要
[編集]2022年(令和4年)11月末現在の石巻市の地区別人口では、石巻地域(52,358人、25,975世帯)、蛇田地域(23,833人、10,778世帯)、河南地域(18,553人、7,342世帯)に次いで人口および世帯数が多く、それぞれ、13,961人と6,389世帯を擁しており、人口は本庁地区(人口96,746人)の約14.43%、石巻市(人口137,027人)の10.19%を占め、世帯数は本庁地区(世帯数45,868世帯)の約13.93%、石巻市(世帯数62,278世帯)の10.26%を占める[38]。
範囲
[編集]伊勢町、浜松町、松原町、大宮町、長浜町、幸町、渡波町、三和町、後生町、宇田川町、万石町、塩富町、渡波、流留、小竹浜、垂水町、新成、さくら町、沢田の一部を範囲とする[5]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “人口・世帯数(最新版)”. 石巻市. 2024年7月3日閲覧。
- ^ a b “郵便番号簿PDF(2020年度版) 宮城県”. 日本郵便. 2022年1月21日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2023年8月29日閲覧。
- ^ “自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2023年8月29日閲覧。
- ^ a b c d e 角川日本地名大辞典 1979, p. 561.
- ^ 駅の地価が分かる。国土交通省 | 土地・不動産・建設業 - 標準地の単位面積当たりの価格等 - 2021年2月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g 石巻市史編さん委員会 1983, p. 807.
- ^ a b c d 角川日本地名大辞典 1979, p. 88.
- ^ a b 石巻市史編さん委員会 1983, p. 808.
- ^ a b 石巻市史編さん委員会 1983, p. 809.
- ^ a b c d e 角川日本地名大辞典 1979, p. 264.
- ^ 石巻市史編さん委員会 1983, p. 818.
- ^ 石巻市史編さん委員会 1983, p. 810.
- ^ 角川日本地名大辞典 1979, p. 139.
- ^ a b 大石直正, 難波信雄 2003, p. 94.
- ^ a b c “ホームページ”. 曹洞宗輝寶山洞源院. 2024年6月11日閲覧。
- ^ “第8章 復旧復興 (272ページから281ページ)”. 石巻市. 2021年3月18日閲覧。
- ^ a b “石巻圏・新百景>渡波稲井線(石巻市)”. 河北新報. (2021年4月28日) 2024年6月10日閲覧。
- ^ “石巻市万石浦小学校”. 石巻市. 2024年6月11日閲覧。
- ^ “ホームページ”. 宮城県慶長使節船ミュージアム. 2024年6月11日閲覧。
- ^ “水産技術総合センター”. 宮城県 (2024年6月10日). 2024年6月11日閲覧。
- ^ “石巻市トンネル長寿命化修繕計画”. 石巻市 建設部. 2022年1月21日閲覧。
- ^ 宮城交通 | 石巻市路線図 - 2021年1月28日閲覧。
- ^ “宮城県石巻市渡波”. NAVITIME. 2022年1月21日閲覧。
- ^ “ごみカレンダー石巻地区A(渡波方面)”. 石巻市. 2021年2月1日閲覧。
- ^ “宮城県石巻市渡波狸荒”. NAVITIME. 2022年1月21日閲覧。
- ^ “宮城県石巻市渡波満和多”. NAVITIME. 2022年1月21日閲覧。
- ^ “宮城県石巻市渡波貉坂山”. NAVITIME. 2022年1月21日閲覧。
- ^ 石巻市史編さん委員会 1988, p. 825.
- ^ 角川日本地名大辞典 1979, p. 874.
- ^ 角川日本地名大辞典 1979, p. 875.
- ^ “小学校学区一覧”. 石巻市. 2021年2月1日閲覧。
- ^ “中学校学区一覧”. 石巻市. 2021年2月1日閲覧。
- ^ “第三次地震被害想定調査/震度分布図/単独型”. 宮城県. 2021年1月30日閲覧。
- ^ 谷謙二「小地域別にみた東日本大震災被災地における死亡者および死亡率の分布<論文>」『埼玉大学教育学部地理学研究報告』第32号、埼玉大学教育学部地理学研究室、2012年12月、1-26頁、doi:10.24561/00016186、ISSN 0913-2724、NAID 120006388016、2021年3月1日閲覧。
- ^ a b “尾崎神社”. 宮城県神社庁. 2024年6月11日閲覧。
- ^ “ホームページ-アクセス”. 日蓮宗神明山法音寺. 2024年6月11日閲覧。
- ^ “第3章 人口”. 石巻市. 2022年12月5日閲覧。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 4 宮城県、角川書店、1979年12月1日。ISBN 4040010302。
- 地名は知っていた <上> 気仙沼~塩竈津波被 (河北選書) 著:太宰幸子、出版:河北新報出版センター、2012年12月第一刷。
- コンサイス日本地名事典 <第3刷> 編:三省堂編修所、出版:株式会社三省堂、1989年12月15日第3刷発行。
- 大石直正, 難波信雄 編『街道の日本史』 7 平泉と奥州道中、吉川弘文館〈1〉、2003年8月20日。ISBN 4642062076。
- 石巻市史編さん委員会 編『石巻の歴史』 3 民俗・生活編、石巻市、1988年3月31日。