皆生温泉

座標: 北緯35度27分22.69秒 東経133度21分42.49秒 / 北緯35.4563028度 東経133.3618028度 / 35.4563028; 133.3618028

皆生温泉
温泉情報
所在地 鳥取県米子市
交通 JR山陰本線米子駅から5km、日交バス日ノ丸バスで19分、タクシーで15分
泉質 塩化物泉(塩化土類食塩泉[1]
泉温(摂氏 89[1]
湧出量 56万リットル/日[1]
液性の分類 中性
浸透圧の分類 高張性
宿泊施設数 20
年間浴客数 388,032[2]
統計年 2017[2]
外部リンク 皆生温泉旅館組合
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皆生温泉の位置
皆生温泉の位置
皆生温泉の位置
皆生温泉の位置
海沿いのホテル群
ホテルから望む皆生海岸
皆生観光センター周辺
皆生海岸とホテル群
皆生海岸。夏場は海水浴場になる。
「日本トライアスロン発祥の地」の看板

皆生温泉(かいけおんせん)は、鳥取県米子市にある温泉

弓ヶ浜の皆生海岸に面する東西1,000m、南北400mの狭い範囲に大型ホテルを含む宿泊施設が集積する。その収容規模は約5,000人で、山陰最大級[3]である。鳥取県が入湯税を基に算出した調査に拠れば、近年は年間40万人前後が利用しており、2017年現在、鳥取県内の温泉では最も入湯客が多い[2][注 1]。「米子の奥座」、「山陰の熱海」とも呼ばれる[5]

源泉

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塩化物泉[1]第三紀安山岩層の割れ目から湧出している[6]1900年明治33年)に発見されたが、海岸侵食によって当初の源泉は水没してしまい、護岸工事が行われた[6](後述)。湧出量も多く、源泉の温度は鳥取県内で最も高温である[6][7]

主成分

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皆生温泉の集中管理泉

温泉街

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米子市街の北東部に「皆生温泉1丁目 - 4丁目」があり、そのうち「皆生温泉3・4丁目」に高層ホテル・旅館が立ち並び温泉中心街を形成している。白砂の美しい弓ヶ浜沿いにあり、夏季には海水浴場「皆生温泉海遊ビーチ」(2021年に皆生海水浴場から改称)が開かれる[8]。湯上りの散策に好まれる温泉街は、東には美保湾越しに大山がよく見えて「日本の朝日100選」に選定されているほか、「日本の渚100選」、「日本の白砂青松100選」、「都市景観100選」にも選定されている。浜の内側には大きな温泉旅館やホテルが浜に沿って一直線に立ち並ぶ。旅館街には、飲み屋・飲食店・風俗営業の店が集まる。

歴史

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1884年明治17年)頃、砂浜から180メートル沖合の海面が泡だっているのが漁師に発見され、「泡ノ場」と呼ばれるようになった[9][10]。ところが日野川を流されてくる土砂によって海岸が前進し、「泡ノ場」はどんどん陸に接近してきた[9]。これに注目した地元の事業家・伊島源太郎が温泉掘削を計画したが、実行に移される前に、漁師である山川忠五郎が浅瀬に湧き出る熱湯を偶然発見した(1900年(明治33年)秋)[10][11]。事業家や村が温泉の開発経営を試みたがいずれも失敗し、経営難となった[9]

これを引き継いだのが米子の実業家有本松太郎で、1921年大正10年)に会社を設立して福生村(現在の米子市の一部)から土地を買収した[9]。有本は京都を模して街区整理による都市計画をすすめると共に、鉄道(米子電車軌道)、競馬場(皆生競馬場)を整備し、様々なイベントを開催して集客に勤めた[9]。背後の大山美保湾越しの島根半島夜見ヶ浜や、隠岐島の遠景などの景観と米子市に近いことから[10][6]、山陰随一の温泉歓楽街となった[12]

温泉地区が海浜に立地することで、長年にわたって海岸侵食による影響を受けてきた[9]。特に冬季は日本海からの強風で海浜の侵食が激しく、海岸が一晩で13メートル後退したこともある[9]。20年間で海岸線は60メートル以上後退し、11軒の旅館のうち7軒が水没するに至った[9]。対策として鳥取県が防砂堤や防潮堤を造り、砂州を造成して侵食を食い止めている[9]

戦後は団体客が多く訪れるようになり、今日に見られるような温泉街に発達する。一方で歓楽温泉から健康的な温泉へイメージ変化を図っており、1978年(昭和53年)には弓ヶ浜に海水浴場を整備、1981年(昭和56年)には日本で最初のトライアスロン競技(全日本トライアスロン皆生大会)が開催され、その発祥の地として毎年大会を開催している。その他スキーキャンプ登山釣りなどの拠点としての開発も行っており、その他イベントの開催や郷土文化の伝承、来訪者の手形を嵌め込んだ海岸遊歩道の整備など様々な試みが行われている。

アクセス

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1925年(大正14年) - 1938年(昭和13年)には米子電車軌道という路面電車が米子駅前と温泉を結んでいた。

脚注

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注釈

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  1. ^ 1997年(平成9年)以前は、各自治体の申告に基づいて利用者を推計していたが、それによれば1997年の1年間の利用者は約177万人で、三朝温泉に次ぐ県内2位だった[4]

出典

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  1. ^ a b c d 『全国温泉大事典』p560-563
  2. ^ a b c 鳥取県観光交流局観光戦略課 温泉地入湯客数(平成30年3月)2018年6月7日閲覧。
  3. ^ 山陰但馬城崎温泉の宿泊施設の収容規模は約7,000人。
  4. ^ 鳥取県文化観光局観光政策課 観光客入込動態調査結果(平成22年)2014年9月9日閲覧。
  5. ^ 蓬莱 梨乃 (2002-4-30) (PDF). =『山陰萬華鏡』 : 大阪市立大学文学部 : 地理学野外調査実習報告書 : 皆生温泉と玉造温泉の現状とこれから. 大阪市立大学文学部地理学教室. p. 73. ISBN 4990053788. http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/geo/pdf/sanin/sanin_06.pdf [1]
  6. ^ a b c d 『図説日本文化地理大系4 中国1』p338-341
  7. ^ 『鳥取県の地名(日本歴史地名大系)』p722-723「海池村」
  8. ^ 新名称は「皆生温泉海遊ビーチ」 施設新設や改修”. 日本海新聞. 2021年6月11日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h i 『日本地名大辞典 31 鳥取県(角川日本地名大辞典)』p209「皆生温泉」
  10. ^ a b c 『溫泉案内』p216-227
  11. ^ 『鳥取県大百科事典』p154
  12. ^ 皆生温泉(かいけ)・皆生海水浴場

参考文献

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  • 『溫泉案内』,鉄道省,博文館,1940
  • 『図説日本文化地理大系4 中国1』,浅香幸雄・編,小学館,1962
  • 『日本の文化地理 第13巻 兵庫・岡山・鳥取』講談社,1970
  • 『日本地名大辞典 31 鳥取県(角川日本地名大辞典)』,角川書店,1982,ISBN 978-4040013107
  • 『鳥取県大百科事典』,新日本海新聞社鳥取県大百科事典編纂委員会・編,新日本海新聞社,1984
  • 『鳥取県の地名(日本歴史地名大系)』,平凡社,1992
  • 『全国温泉大事典』野口冬人・著,旅行読売出版社,1997,p560-563
  • 鳥取県文化観光局観光政策課 平成22年観光客入込動態調査結果

関連項目

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外部リンク

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