臨川郡

臨川郡(りんせん-ぐん)は、中国にかつて存在した三国時代から唐代にかけて、現在の江西省撫州市一帯に設置された。

概要

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257年太平2年)、により豫章郡の東部を分割して臨川郡が立てられた[1]。臨川郡は揚州に属し、郡治は南城県に置かれた。

291年元康元年)、揚州と荊州の10郡を合わせて江州が立てられると、臨川郡は江州に属した[2]の臨川郡は臨汝西豊・南城・東興南豊永城宜黄安浦西寧新建の10県を管轄した[3]

南朝宋のとき、臨川郡は臨汝・西豊・新建・永城・宜黄・南城・南豊・東興・安浦の9県を管轄した[4]

南朝斉のとき、臨川郡は南城・臨汝・新建・永城・宜黄・南豊・東興・安浦・西豊の9県を管轄した[5]

589年開皇9年)、南朝陳を滅ぼすと、臨川郡は廃止されて、撫州に編入された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、撫州は臨川郡と改称された。臨川郡は臨川・南城・崇仁邵武の4県を管轄した[6]

622年武徳5年)、唐が林士弘を平定すると、臨川郡は撫州と改められた。742年天宝元年)、撫州は臨川郡と改称された。758年乾元元年)、臨川郡は撫州と改称され、臨川郡の呼称は姿を消した[7]

脚注

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  1. ^ 三国志』呉書三嗣主伝
  2. ^ 晋書』孝恵帝紀
  3. ^ 『晋書』地理志下
  4. ^ 宋書』州郡志二
  5. ^ 南斉書』州郡志上
  6. ^ 隋書』地理志下
  7. ^ 旧唐書』地理志三