処
仏教用語 処 | |
---|---|
パーリ語 | āyatana |
サンスクリット語 | āyatana |
チベット語 | skye mched |
中国語 | 入, 処 |
日本語 | 入, 処 |
英語 | sense bases, sense spheres |
タイ語 | อายตนะ (RTGS: ayatana) |
|
仏教用語の処(しょ、梵・巴: āyatana [アーヤタナ])は、感覚器、感覚媒体、感覚範囲を意味する[1]。仏教では、6つの内部感覚器六根(ろっこん)[2]と、6つの外部感覚器六境(ろっきょう)[3]に分類される。
内部と外部の感覚器は、以下に対応する[4]。
- 六根(ろっこん、梵: ṣaḍ-indriya) - 主観の側の六種の器官[5]、感官[6]のこと。六内入処(ろくないにゅうしょ)、六内処(ろくないしょ, ajjhattikāni āyatanāni [4])とも。
- 六境(ろっきょう、梵: ṣaḍ-viṣaya) - 客観の側の六種の対象[5]、感官の対象[6]のこと。六外入処(ろくげにゅうしょ)、六外処(ろくげしょ, bāhirāni āyatanāni[4])とも。
眼・耳・鼻・舌・身の5つは五根といい、仏教およびインド哲学では、西洋での五感にプラスして第六感を挙げている[10][11]。仏教における6つ目は「心」であり、感覚の印象、感情、知覚、意志などを含む感覚対象と、相互作用する内部感覚器官を指している[12]。
パーリ仏典において
[編集]釈迦は四諦において、苦(Pali, Skt.: dukkha)の起源を渇愛(Pali: taṇhā; Skt.: tṛṣṇā)であると特定した。十二因縁において釈迦は、渇愛は受(vedanā)が引きこし、それは六処を通しての触(phassa)からもたらされると説く。それがゆえ、渇愛と、その結果として生じる苦を克服するには、感覚基盤の抑制と洞察を発達させる必要がある[13]。
六根がその対象に対する執着を断って浄らかな状態になることを六根清浄または六根浄という。[14]
パーリ仏典による六六経 | |||||||||||||||
処、入 (Āyatana) | → | 受 ・ ヴ ェ | ダ ナ | | → | 渇 愛 ・ タ ン ハ | | |||||||||||
六根 感覚器官 | <–> | 六境 感覚器官の対象 | |||||||||||||
↓ | ↓ | ||||||||||||||
↓ | 触 (パッサ) | ||||||||||||||
↓ | ↑ | ||||||||||||||
識 (ヴィンニャーナ) | |||||||||||||||
世尊は言った。 ...
眼処、耳処、鼻処、舌処、身処、意処。これら六内処が知られるべきである。...
色処、声処、香処、味処、触処、法処。これら六外処が知られるべきである。
プンナ教誡経
[編集]世尊は言った。
プンナよ、眼によって識られる、望ましく、好ましく、喜ぶべく、愛すべき形相で、欲をかきたて、心をひきつける諸々の色(ルーパ)がある。
もし比丘が、それを歓喜し執着してとどまるならば、それを歓喜し執着する彼に、喜悦が起こる。
プンナよ、「喜悦の生起より苦の生起がある」と私は説く。
…(耳、鼻、舌、身、意について同様に説く)…また、プンナよ、眼によって識られる、望ましく、好ましく、喜ぶべく、愛すべき形相で、欲をかきたて、心をひきつける諸々の色がある。
もし比丘が、それを歓喜せず、執着せずにとどまるならば、それを歓喜せず執着しない彼に、喜悦が滅する。
プンナよ、「喜悦の滅尽により苦の滅尽がある」と私は説く。
…(耳、鼻、舌、身、意について同様に説く)…
脚注
[編集]- ^ "Sense base" is used for instance by Bodhi (2000b) and Soma (1999). "Sense-media" is used by Thanissaro (e.g., cf. Thanissaro, 1998c). "Sense sphere" is used for instance by VRI (1996) and suggested by Rhys Davids & Stede (1921–5), p. 105, whose third definition for
- ^ Pine 2004, p. 102
- ^ Pine 2004, p. 103
- ^ a b c パーリ仏典, 中部, 148六六経, Sri Lanka Tripitaka Project
- ^ a b c d e 櫻部・上山 2006, p. 60.
- ^ a b 村上 2010, p. 233.
- ^ a b c d 岩波仏教辞典 1989, p. 851.
- ^ a b c d e f g 櫻部・上山 2006, p. 仏教基本語彙(1)-(10).
- ^ 大崎正瑠「サンスクリット原文で『般若心経』を読む」『総合文化研究』第19巻1・2、日本大学商学部、2013年12月、41-59頁、hdl:11150/7945、ISSN 13416588、2024年6月27日閲覧。
- ^ Hamilton (2001), p. 53, writes: "... six senses, including one relating to non-sensory mental activity, are recognized in Buddhism and other Indian schools of thought...."
- ^ See also Pine 2004, p. 101. Red Pine argues that this scheme probably predates Buddhism, because it has ten external members (ear, sound, nose, odor, tongue, taste, body, touch) corresponding to the single external skandha (form), and only two internal members (mind and thought) corresponding to the four internal skandhas.
- ^ See, for instance, Bodhi (2000a), p. 288.
- ^ Bodhi (2005b), starting at time 50:00. Bodhi (2005b) references, for instance, Majjhima Nikaya Sutta No. 149
- ^ 岩波仏教時点 1989, p. 851.
参考文献
[編集]- 中村元他『岩波仏教辞典』岩波書店、1989年。ISBN 4-00-080072-8。
- 櫻部建 ; 上山春平『存在の分析<アビダルマ>―仏教の思想〈2〉』角川書店〈角川ソフィア文庫〉、2006年。ISBN 4-04-198502-1。(初出:『仏教の思想』第2巻 角川書店、1969年)
- 村上真完「法(dharma)と存在(bhava)と存在しているもの(sat)」『印度學佛教學研究』第60巻第2号、日本印度学仏教学会、2012年、892-885頁、doi:10.4259/ibk.60.2_892。
- Red Pine (2004). The Heart Sutra: The Womb of the Buddhas. Shoemaker & Hoard. ISBN 1-59376-009-4