足立 (足立区)
足立 | |
---|---|
町丁 | |
五反野駅 高架下の出入口(2014年2月) | |
北緯35度45分46秒 東経139度48分24秒 / 北緯35.762714度 東経139.806803度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京 |
特別区 | 足立区 |
人口情報(2024年(令和6年)4月1日現在[1]) | |
人口 | 13,787 人 |
世帯数 | 8,219 世帯 |
面積([2]) | |
0.678942585 km² | |
人口密度 | 20306.58 人/km² |
設置日 | 1964年(昭和39年)7月1日 |
郵便番号 | 120-0015[3] |
市外局番 | 03(東京MA)[4] |
ナンバープレート | 足立 |
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足立(あだち)は、東京都足立区の町名。現行行政地名は足立一丁目から四丁目。全域が住居表示地区である。
地理
[編集]東京都足立区の南部、綾瀬地域に属する。地域の東端に東武伊勢崎線小菅駅があり、同じく東部にJR常磐線と首都圏新都市鉄道つくばエクスプレスが通る。また、地域の西端には国道4号が通る。地域の北端は東武伊勢崎線五反野駅にも近接している。
一丁目に足立区立千寿第五小学校、足立一郵便局、二丁目に東武伊勢崎線小菅駅、三丁目に足立区立五反野小学校、足立三郵便局がある。
東は西綾瀬、葛飾区小菅、西は梅田、南は千住、北は中央本町と接する。
地価
[編集]住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、足立2-13-5の地点で26万7000円/m2となっている[5]。
地名の由来
[編集]大正時代に荒川放水路が開削されるまでは、この地域は荒川南岸の千住地区と地続きであった。それまでのこの地域には東部が綾瀬村大字弥五朗新田、西部が千住町に分かれており(その他、五反野南町など細かく分かれていた)、放水路の開削後も旧千住町側住民は千住に、旧綾瀬村住民は弥五朗新田への帰属意識が強く、1964年(昭和39年)の住居表示の実施に向けての町村合併はきわめて困難なものであった。しかし当時の大神田貞英区議会議員が、新事業に向けて旧来の町村意識を変え、南足立郡の一つ家族として『足立』を町名にしよう、と住民らを説得し合意を得たという[6]。
世帯数と人口
[編集]2024年(令和6年)4月1日現在(足立区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
足立一丁目 | 1,650世帯 | 2,657人 |
足立二丁目 | 1,928世帯 | 3,236人 |
足立三丁目 | 2,048世帯 | 3,639人 |
足立四丁目 | 2,593世帯 | 4,255人 |
計 | 8,219世帯 | 13,787人 |
人口の変遷
[編集]国勢調査による人口の推移。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[7] | 12,438 |
2000年(平成12年)[8] | 12,518 |
2005年(平成17年)[9] | 13,066 |
2010年(平成22年)[10] | 13,870 |
2015年(平成27年)[11] | 12,917 |
2020年(令和2年)[12] | 13,377 |
世帯数の変遷
[編集]国勢調査による世帯数の推移。
年 | 世帯数 |
---|---|
1995年(平成7年)[7] | 5,075 |
2000年(平成12年)[8] | 5,401 |
2005年(平成17年)[9] | 5,988 |
2010年(平成22年)[10] | 6,937 |
2015年(平成27年)[11] | 6,667 |
2020年(令和2年)[12] | 7,432 |
学区
[編集]区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2023年4月時点)[13]。なお、足立区では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能。ただし、小学校に関しては、2018年(平成30年)度から学区域または学区域に隣接する学校のみの選択になる[14]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
足立一丁目 | 1〜30番 | 足立区立足立小学校 | 足立区立第四中学校 |
31番以降 | 足立区立第十一中学校 | ||
足立二丁目 | 全域 | ||
足立三丁目 | 全域 | ||
足立四丁目 | 全域 | 足立区立第四中学校 |
事業所
[編集]2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[15]。
丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
足立一丁目 | 86事業所 | 568人 |
足立二丁目 | 64事業所 | 493人 |
足立三丁目 | 91事業所 | 537人 |
足立四丁目 | 133事業所 | 1,796人 |
計 | 374事業所 | 3,394人 |
事業者数の変遷
[編集]経済センサスによる事業所数の推移。
年 | 事業者数 |
---|---|
2016年(平成28年)[16] | 433 |
2021年(令和3年)[15] | 374 |
従業員数の変遷
[編集]経済センサスによる従業員数の推移。
年 | 従業員数 |
---|---|
2016年(平成28年)[16] | 3,521 |
2021年(令和3年)[15] | 3,394 |
交通
[編集]鉄道
[編集]道路・橋梁
[編集]- 国道4号(日光街道)
- 首都高速中央環状線
- 東京都道308号千住小松川葛西沖線(平和橋通り)
- 東京都道467号千住新宿町
- 花畑街道
- 千住新橋
施設
[編集]- 足立区立五反野小学校
- 足立区立千寿第五小学校
- 荒川千住新橋緑地
史跡
[編集]- 西之宮稲荷神社
- 高砂神社
- 三十番七面大明神社
- 新道神社
- 庚申塔石仏
- 建碑の疏
- 氷川神社
歴史
[編集]- 1964年(昭和39年)7月1日 - 日吉町の全域と五反野南町・日ノ出町三丁目・千住高砂町・千住末広町・伊藤谷西町・梅田町の一部で住居表示が実施され、足立一丁目-四丁目が成立。
- 1970年(昭和45年)11月20日 - 集中豪雨により足立4丁目で約100戸が床下浸水[17]。
その他
[編集]日本郵便
[編集]関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “足立区の町丁別の世帯と人口(令和6年)” (CSV). 足立区 (2024年4月12日). 2024年4月20日閲覧。 “(ファイル元のページ)”(CC-BY-4.0)
- ^ “『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2023年10月28日閲覧。(CC-BY-4.0)
- ^ a b “足立の郵便番号”. 日本郵便. 2023年10月28日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ “国土交通省 不動産情報ライブラリ”. 国土交通省. 2024年4月6日閲覧。
- ^ 足立区立郷土博物館編『足立風土記稿 地区編 6』足立区教育委員会 1997 p246
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “区立小・中学校の通学区域表・通学区域図” (PDF). 足立区 (2023年4月1日). 2023年10月28日閲覧。 “(ファイル元のページ)”
- ^ “学校選択制度について”. 足立区 (2017年6月1日). 2017年12月7日閲覧。
- ^ a b c “経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
- ^ a b “経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ 浸水や橋流失『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月20日夕刊 3面 11面
- ^ “郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年10月28日閲覧。