雲井通
雲井通(くもいどおり)は兵庫県神戸市中央区の町名。現行行政地名は雲井通一丁目から雲井通八丁目。郵便番号651-0096。
地理
[編集]旧・葺合区西部、国道2号北側、生田川西側、JR三ノ宮駅南側に位置する。商業地域。五丁目に中央区役所が置かれる。
東は生田川を挟み(新生田川橋=国道2号と雲井橋で接続)吾妻通、南は国道2号を挟み小野柄通、西はフラワーロード上が加納町、北西は琴ノ緒町、北は旭通。東から順に一~八丁目が置かれている。
歴史
[編集]明治32年(1899年)に神戸市葺合の一部から葺合雲井通として成立。昭和6年(1931年)、葺合区の一部となるまで「葺合」を冠称。昭和55年(1980年)から中央区。
葺合地区には布引の滝に因んだ町名が多いが、同町もその一つで、『西摂大観』によれば藤原隆家の「雲井よりつらぬき懸る白玉を誰れ布引の滝といひけむ」、皇太后宮大夫祐家の「めづらしや雲井遥に見ゆるかなよに流れたる布引の滝」、皇后宮権太夫経信の「雲井よりとゝろき落つる滝つせはただ白糸のたたぬなりけり」といった和歌からとったという。東雲通、旭通、日暮通と対応したともいうが、いずれにしても佳名として名づけられた。
沿革
[編集]- 明治28年(1895年)、今日のJR三ノ宮駅付近に本妙院という寺が尼崎から移される。兵庫区中道通に住んでいた当時88歳の老婆山本トキが一人で建てた寺として評判となった。
- 大正元年(1912年)、神戸電気鉄道(後の神戸市電)布引線開通。
- 大正5年(1916年)、阪神電気鉄道が神戸加納町五丁目まで延長。
- 昭和6年(1931年)、国鉄(現JR)の駅が北隣に設けられる(現在地に三ノ宮駅が移転する)。
- 昭和8年(1933年)、阪神電気鉄道が岩屋駅から地下線となり、三ノ宮駅(現・三宮駅)を南隣の小野柄通八丁目に移転。
- 昭和9年(1934年)、火災に遭った葺合区役所が町内に移転。
- 昭和10年(1935年)、市電東部国道線が開通。
- 昭和11年(1936年)、阪神急行電鉄(現阪急電鉄)が上筒井終点から延長され高架で三宮へ乗り入れる。
- 昭和20年(1945年)、戦災で区役所が燃え、二宮・福住・雲中の各国民学校を転々として昭和24年(1949年)旗塚通へ移転。
- 昭和31年(1956年)、神戸新聞会館建設。
- 昭和55年(1980年)、中央区誕生に伴い再び区役所が置かれる。また、市青少年会館も建てられる。
- 昭和56年(1981年)、神戸新交通ポートアイランド線三宮駅、三宮ターミナルビル開業。
- 昭和60年(1985年)、神戸市営地下鉄西神・山手線が開通。
- 平成13年(2001年)、神戸市営地下鉄海岸線が開通。
人口統計
[編集]- 平成17年国勢調査(2005年10月1日現在)での世帯数690、人口1,237、うち男性560人、女性677人[1]。
- 昭和63年(1988年)の世帯数515・人口1,143[2]。
- 昭和35年(1960年)の世帯数752・人口3,088[2]。
- 大正9年(1920年)の世帯数1,080・人口4,549[2]。
脚注
[編集]- ^ “神戸市町別世帯数・年齢別人口(国勢調査)”. 神戸市. 2009年9月10日閲覧。
- ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1988
参考文献
[編集]- 神戸史学会 編『神戸の町名 改訂版』神戸新聞総合出版センター、2007年。ISBN 978-4-343-00437-6。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 竹内理三 編『角川日本地名大辞典 28 兵庫県』角川書店、1988年。ISBN 978-4040012803。