ジャン・スタブリンスキ
ジャン・スタブリンスキ(Jean Stablinski、1932年5月21日 - 2007年7月22日)は、フランスの名自転車競技、ロードレース選手。
経歴
[編集]石炭の生産地である、ノール県のテュン=サン=アマン出身。父親は炭鉱夫で、ポーランドから移民してきた。本名はジャン・スタブレヴスキ(Jean Stablewski)という。14歳のときに父親が事故により他界したため、一家を支えるべく、自らが炭鉱夫となった。なお、この経験がきっかけとなり、後に自身のかつての職場であったアランベールを、パリ〜ルーベのコースに組み入れるよう提案。同地は今、『地獄のアランベール』という異名を取るほどの存在感を示しているが、同地に当人の記念碑が建てられている[1]。
16歳のとき、ロードレースに初めて参加したことをきっかけとして、自転車選手としてのキャリアをスタートさせた。なお、ジャン・スタブリンスキという名前は、自転車雑誌記者の誤記によって生み出されたものだが、以後、同名がそのまま使用されることになった。
1953年にプロ転向。主にジャック・アンクティルのアシストを務めた。1958年、ブエルタ・ア・エスパーニャを総合優勝。1962年、世界選手権プロロードレースを制した。また、1966年に創設されたアムステルゴールドレースの初代優勝者である。
1968年シーズンを最後に引退。引退後は6年間ほど、ソノロル・ルジューヌというチームの監督を務め、ルシアン・ファンインプや無名時代のベルナール・イノーらを指導した。
主な実績
[編集]- 1957
- ツール・ド・フランス:
- 第12ステージ 1位
- 1958
- ブエルタ・ア・エスパーニャ:
- 1961
- ツール・ド・フランス:
- 第7ステージ 1位
- 1962
- ツール・ド・フランス:
- 第14ステージ 1位
- 世界選手権プロロードレース 優勝
- フランス選手権・ロード 優勝
- ブエルタ・ア・エスパーニャ:
- 第11ステージ 1位
- 1964
- フランス選手権・ロード 優勝
- ツール・ド・フランス:
- 第21ステージ 1位
- 1965
- ルント・ウム・デン・ヘニンガー=トゥルム 優勝
- ツール・ド・ベルギー 総合優勝
- 1966
- アムステル・ゴールドレース 優勝(初代)
- 1967
- ツール・ド・フランス:
- 第19ステージ 1位
- ジロ・デ・イタリア:
- 第8ステージ 1位
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- ジャン・スタブリンスキ - サイクリングアーカイヴス