亘四郎

亘 四郎
わたり しろう
生年月日 1899年11月8日
出生地 新潟県南蒲原郡三条町上町
没年月日 (1977-04-04) 1977年4月4日(77歳没)
出身校 ラトガース大学
前職 会社役員
所属政党日本自由党[1]→)
民主自由党→)
自由党→)
(分党派自由党→)
(日本民主党→)
自由民主党
称号 正三位勲一等旭日大綬章
配偶者 静子
親族 実兄:堤清六日魯漁業株式会社創業者、衆議院議員

選挙区 (新潟県第2区→)
旧新潟3区
当選回数 8回
在任期間 1946年6月20日 - 1960年10月24日
1963年11月21日 - 1966年4月12日

当選回数 2回
在任期間 1966年5月8日 - 1974年4月30日

選挙区 新潟県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1974年7月7日 - 1977年4月4日
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亘 四郎(わたり しろう、1899年明治32年〉11月8日 - 1977年昭和52年〉4月4日)は、日本政治家衆議院議員(8期)、新潟県知事(47代 - 48代、在任1966年 - 1974年)、参議院議員(1期)。日魯漁業創業者の堤清六は実兄。

来歴

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呉服商「近清」7代目の堤清七・千代の四男(第7子)として新潟県南蒲原郡三条町上町に出生。長兄の清六とは19歳も離れていた。幼くして寺泊廻船問屋亘信治の養子となる。

寺泊町立尋常科寺泊小学校を経て旧制新潟県立三条中学校を卒業後、アメリカ合衆国ニュージャージー州ラトガーズ大学に留学。建築学数学を学ぶ一方で、アメリカンフットボール部でも活躍した。このアメリカ留学中のアメリカンフットボールの影響で難聴となった。

1924年(大正13年)に帰国し、清六が会長を務める日魯漁業に入社、北洋漁業にも出かけた。

1946年(昭和21年)の第22回衆議院議員総選挙鳩山一郎が総裁を務める日本自由党公認で新潟2区より出馬し、初当選[1]。衆議院国土総合開発特別委員長や厚生政務次官を歴任。主に厚生委員会で活躍し、「福祉の亘」とまで言われた。当選回数は大臣経験者に並ぶも、亘は、「国会議員たるものは第一に国民の代表者たるべき責任を果たすべきで、いたずらに大臣を望むべきではない」と、猟官運動には与しなかった[2][3]

1960年(昭和35年)には自民党新潟県連会長に就くが、同年11月の総選挙で落選。1963年(昭和38年)の総選挙で返り咲く。

1966年(昭和41年)に塚田十一郎知事が自らの贈賄事件(20万円中元事件)により知事を辞任すると、自民党から出馬を表明し立候補、選挙戦は社会党松井誠一騎討ちとなり、約5万8,000票差で薄氷を踏む勝利を収め初当選。1970年(昭和45年)4月には社会党の杉山善太郎を破って再選され、新潟県知事を2期務め、1974年(昭和49年)4月には後継に副知事の君健男を指名して退任した。県知事退任後の7月第10回参議院議員通常選挙に立候補し初当選。

参議院議員在職中の1977年(昭和52年)、実姉のヨシが亡くなった1か月後に死去した。

妻、静子との間には1男3女を授かり、娘・良子(次女)は北村一男(新潟県知事、43代 - 44代)の子・健太郎と結婚した。

亘県政

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堤家・亘家

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堤清七(6代目)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
千代
 
堤清七(7代目)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
静子
 
亘(堤)四郎
 
北村一男
 
堤清六
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
太一郎
 
良子
 
北村健太郎
 
 
 
 
 
  • 清六・四郎は8人兄弟(清六は第1子長男、四郎は第7子四男)

脚注

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参考文献

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  • 『衆議院議員総選挙一覽 第22回』衆議院事務局、1950年。
  • 新潟日報社編 『民選知事五代 県政支配の構図 下巻』 新潟日報事業社、1978年4月、223-290頁。
  • 牧田利平編 『名家系譜 越佐人物誌』 野島出版、1986年、141-142頁。
  • 『政治家人名事典』日外アソシエーツ、1990年9月、591頁。ISBN 4816910069全国書誌番号:91000340 
  • 『新訂政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年10月、687頁。ISBN 4816918051全国書誌番号:20493776 

関連項目

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公職
先代
塚田十一郎
新潟県の旗 新潟県知事
公選第7 - 8代:1966年 - 1974年
次代
君健男
議会
先代
五十嵐吉蔵
日本の旗 衆議院国土総合開発特別委員長 次代
篠田弘作