| サッカー選手の「安藤謙佑」とは別人です。 |
安藤 謙介(あんどう けんすけ、1854年1月29日(嘉永7年1月1日[1])- 1924年(大正13年)7月30日)は、日本の検察官・官僚・政治家。政友会系官選県知事、衆議院議員、横浜市長、京都市長。
土佐藩士・安藤常三郎の長男として安芸郡羽根村に生まれる。1873年に上京し、ニコライ塾に入り、その後、東京外国語学校に移りロシア語を学んだ。中江兆民からフランス語も学んだ。
1876年4月、勝海舟の推薦で外務省に出仕し、ロシア帝国サハリンのコルサコフ領事館書記一等見習となる。1878年、サンクトペテルブルク公使館書記生となり、サンクトペテルブルク大学で法学、行政法などを履修した。1882年から同大学の日本語教官となった。
1885年に帰国すると司法省に転じ、1887年7月、検事に任官。以後、岐阜地方裁判所・前橋地方裁判所・熊本地方裁判所・横浜地方裁判所の各検事正を歴任した。
1896年4月、第2次伊藤内閣において富山県知事に任じられ、1897年4月に非職となる。1898年1月、第3次伊藤内閣が成立すると千葉県知事に就任。同年8月、第1次大隈内閣により非職となった。その後、成田火災保険会社社長などを務め、1903年3月、第8回衆議院議員総選挙に富山県高岡市区から出馬し当選した。
1904年11月、愛媛県知事となり、1909年7月に休職となった。その後、韓海漁業会社社長を務めた。1911年9月、長崎県知事に就任し、1912年12月まで在任。1913年9月、新潟県知事となり、1914年4月まで在任し退官した。その後、横浜市長、京都市長を歴任。
- 位階
- 勲章等
- ^ 衆議院『第十八回帝国議会衆議院議員名簿』(第十八回帝国議会衆議院公報第一号附録)〔1903年〕、20頁。
- ^ 『官報』第7770号「叙任及辞令」1909年5月22日。
- ^ 『官報』第4051号「叙任及辞令」1896年12月28日。
- ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
- ^ 『官報』第7578号・付録「辞令」1908年9月28日。
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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官選 | 区長 | - 島田豊寛1878.11.18-1879.12.10
- 山田雪助1879.12.10-1883.6.16
- 箕輪三郎1883.6.16-1886.9.6
- 増田知1886.9.6-1889.4.1
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市長 | |
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公選 | |
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横浜市ポータル |
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1931年4月1日編入 | |
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官選 | - 内貴甚三郎1898.10.12-1904.10.11
- 西郷菊次郎1904.10.12-1911.7.13
- 川上親晴1912.1.6-1912.12.20
- 井上密1913.3.31-1916.7.19
- 大野盛郁1917.1.10-1918.5.7
- 安藤謙介1918.11.29-1920.12.3
- 馬淵鋭太郎1921.7.22-1924.9.19
- 安田耕之助1925.2.21-1927.8.9
- 市村光恵1927.8.20-1927.11.13
- 土岐嘉平1927.12.13-1931.12.12
- 森田茂1931.12.21-1932.11.30
- 大森吉五郎1932.12.18-1935.1.15
- 浅山富之助1935.2.19-1936.6.4
- 市村慶三1936.6.4-1940.6.3
- 加賀谷朝蔵1940.6.8-1942.6.22
- 篠原英太郎1942.7.6-1946.2.16
- 和辻春樹1946.3.13-1946.11.27
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公選 | - 神戸正雄1947.4.7-1950.1.6
- 高山義三1950.2.10-1966.2.4
- 井上清一1966.2.5-1967.1.8
- 富井清1967.2.28-1971.2.25
- 舩橋求己1971.2.26-1981.7.26
- 今川正彦1981.9.1-1989.8.29
- 田邊朋之1989.8.30-1996.1.29
- 桝本頼兼1996.2.26-2008.2.24
- 門川大作2008.2.25-2024.2.24
- 松井孝治2024.2.25-
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