渡邉泰憲

渡邉 泰憲(わたなべ やすのり、1974年6月2日 - 2010年4月3日)は、日本の元ラグビー選手。

プロフィール

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来歴

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保善高校でラグビーを始める。花園への出場はならなかったものの、高校日本代表に選出されイングランド遠征に参加。

日本体育大学に進み、3年で関東大学対抗戦優勝を経験する。大学4年次の1996年日本代表に選出され、5月11日香港戦で初キャップを獲得。

卒業後、東芝に入社。NO.8からフランカーにコンバートされ1997年全国社会人大会優勝、日本選手権優勝。1998年度日本選手権優勝でチームは3連覇を達成。1999年W杯代表に選出。以来3大会連続出場を果たす。

2009年に現役を引退し、以降は社業としての営業職に専念していた[2]

2010年4月3日午後9時半ごろ、JR横須賀線鎌倉駅内で電車にはねられ死亡した。会社関係者と酒を交わして帰宅する最中の出来事であり、本人の遺書等は見つかっておらず、事故の可能性が高いとみられる[2]

脚注

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  1. ^ 布施博に似ていたため命名当時のドラマの役名から取った
  2. ^ a b W杯戦士の渡辺泰憲さん電車にはねられ死亡 サンケイスポーツ 2010年4月5日閲覧(アーカイブコピー - ウェイバックマシン

関連項目

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