西畑村
にしはたむら 西畑村 | |
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廃止日 | 1954年10月5日 |
廃止理由 | 新設合併 大多喜町、西畑村、老川村、総元村、上瀑村 → 大多喜町 |
現在の自治体 | 大多喜町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 千葉県 |
郡 | 夷隅郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 47.2 km2 |
総人口 | 5,433人 (国勢調査、) |
隣接自治体 | 夷隅郡:老川村、総元村、上野村、総野村、大多喜町 市原郡:加茂村 |
西畑村役場 | |
所在地 | 千葉県夷隅郡西畑村大字湯倉 |
座標 | 北緯35度15分16秒 東経140度13分19秒 / 北緯35.25433度 東経140.22194度座標: 北緯35度15分16秒 東経140度13分19秒 / 北緯35.25433度 東経140.22194度 |
特記事項 | 面積・人口は合併時のもの。 隣接自治体は1954年10月1日当時のもの。 所在地は現大多喜町役場西畑出張所のもの。 |
ウィキプロジェクト |
西畑村(にしはたむら)は千葉県夷隅郡にあった村。
1954年10月5日に老川村、総元村、上瀑村、旧・大多喜町と合併し大多喜町が誕生したため消滅した。
地理
[編集]- 現・大多喜町の中央部に位置する。
- 地域内を西畑川が流れ、村名もこれにちなむ。
歴史
[編集]沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 – 町村制施行に伴い、中野村、市川村、堀切村、板屋村、伊保田村、松尾村、弓木村、田代村、三条村、庄司村、紙敷村、小苗村、湯倉村、弥喜用村、馬場内村、百鉾村、宇筒原村、平沢村、笛倉村、押沼村、小内村、川畑村が合併し、夷隅郡西畑村が誕生する。[1]
- 1899年(明治32年) – 西畑高等小学校が創設される。
- 1954年(昭和29年)10月5日 – 西畑村は、旧・大多喜町、老川村、総元村、上瀑村とともに合併し、大多喜町が発足。西畑村は消滅。
変遷表
1868年 以前 | 明治9年 | 明治22年 4月1日 | 昭和29年 10月5日 | 現在 | |
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伊保田村 | 西畑村 | 大多喜町 | 大多喜町 | ||
板屋村 | |||||
市川村 | |||||
中野村 | |||||
堀切村 | |||||
三条村 | |||||
田代村 | |||||
弓木村 | |||||
平沢村 | |||||
宇筒原村 | |||||
押沼村 | |||||
笛倉村 | |||||
川安戸村 | 川畑村 | ||||
南畑村 | |||||
馬場村 | |||||
原内村 | |||||
小内村 | |||||
小苗村 | |||||
湯倉村 | |||||
紙敷村 | |||||
松尾村 | |||||
庄司村 | |||||
弥喜用村 | |||||
百鉾村 |
人口・世帯
[編集]人口
[編集]総数 [単位: 人]
1891年(明治24年) | 3,909 |
1917年(大正 6年) | 4,833 |
1954年(昭和29年) | 5,286 |
世帯
[編集]総数 [単位: 世帯]
1954年(昭和29年) | 954 |
行政
[編集]- 村長 : (代理助役)
- 助役 : 関英夫
- 収入役 : 野口正之
- 議会議員数 : 22名
村長
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]参考文献
[編集]- 大多喜町史編さん委員会編『大多喜町史』、大多喜町、1991年
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201
- 『大多喜町行政のあゆみ』 発行日 : 2004年9月、発行 : 千葉県大多喜町、編集 : 大多喜町総務課、制作 : 株式会社ぎょうせい