アレクサンドル・カスタルスキー
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アレクサンドル・ドミトリエヴィチ・カスタルスキー[1](ロシア語: Алексса́ндр Дми́триевич Каста́льский, Alexandr Dmitriyevich Kastalsky、1856年 - 1926年12月17日)は、ロシアの作曲家であり民俗学者。
生涯
[編集]カスタルスキイはモスクワに、長司祭ドミトリイ・イヴァノヴィチ・カスタルスキー(Дмитрий Иванович Кастальский)の息子として生まれた。音楽理論、作曲法(エクリチュール)、ピアノをモスクワ音楽院で学んだ。最初の合唱音楽作品は1896年に作曲されている。1917年まで、130以上の作品を書き上げ、セルゲイ・ラフマニノフと同様、新ロシア派の重要な作曲家となり影響力をもった。正教会の聖歌も多数作曲している。
1917年のロシア革命以降は、無神論を掲げる共産主義政権により聖歌作曲が禁じられる中、民謡の研究に専念し、結果、多くの合唱作品が生まれた。重要な作品としては「村の交響曲」(1923年)、「民謡による田園風作品」(1924年)がある。
脚注
[編集]出典
[編集]- Svetlana Zvereva. "Kastal'sky, Aleksandr Dmitriyevich", Grove Music Online, ed. L. Macy (accessed 30 August 2009), grovemusic.com (subscription access).
関連項目
[編集]- 聖金口イオアン聖体礼儀 (ラフマニノフ) - ラフマニノフに聖歌の作曲を勧めたのがカスタルスキー。
外部リンク
[編集]- Alexander Dmitriyevich Kastalsky(CPDL) - 楽譜(正教会の聖歌を含む)。