アンドレアス・ムンツァー

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アンドレアス・ムンツァーAndreas Münzer, 1964年10月25日 - 1996年3月14日)はオーストリア出身の、1980年代から1990年代に活躍したボディビルダー。 極めて低い体脂肪率と若くして死去したことで有名である。

概略[編集]

ムンツァーはオーストリアのボディビルダー・アーノルド・シュワルツェネッガーを先輩として尊敬していた。このため、彼はシュワルツェネッガーの体形を目指し、22歳でボディビルデビュー。1996年のアーノルドクラシックコンペティションでシュワルツェネッガーと対面。

ボディビルデビューから2年後にIBFFのプロカード取得。

1989年、ミスター・オリンピアでプロデビュー。最高位はミスター・オリンピア9位(1990年、1993年、1994年)。

彼はカリウム保持性利尿薬を含む様々な薬物を服用し、それが1996年に彼を死に導いた可能性がある。

ムンツァーは数か月続いた腹痛の後、1996年3月12日に病院を訪れた。午後7時に医者は腹部の出血を止めるための手術を決断したが、まもなく肝臓と腎臓の不全が認められた。 彼はその時点で既に輸血が困難な状態であり、3月14日朝、31歳で死去した。

検視結果によれば死因はジストロフィー性多臓器不全であった。 また、検視結果によれば極めて筋肉質で皮下脂肪がほぼ0%であること、肝臓に多数の卓球ボールサイズの腫瘍、委縮した精巣、心臓肥大も認められた。通常の男性の心臓は300-350gであるが彼の心臓は636gであった。

彼の電解質バランスも異常であり、カリウムの比率が非常に高かった。 20もの薬物服用の痕跡があり、おそらく興奮剤により発症した急性毒性も認められた。

人物[編集]

バルクも然ることながら、ポージングパフォーマンス、極限のカット、抜群のコンディションが特筆点であった。カットに関しては、コンテスト時に体脂肪率がほぼ0%にまで至ったと伝わる。

一方キャリア初期においては、下半身は自他ともに認めるウィークポイントで、1セット6回から8回でギリギリできる高重量で鍛えた結果その弱点を克服した。

食事は1日6000kcalのクリーンバルク。減量期も食事の質を変えずカロリーのみを2000kcalに減らした。

身体測定値[編集]

  • 体重: 239 lbs (108 kg)
  • 腕囲: 21 inch (53 cm)
  • 胸囲: 58 inch (147 cm)

タイトル[編集]

  • 1986 European Amateur Championships - IFBB, MiddleWeight, 6th
  • 1987 World Amateur Championships - IFBB, Light-HeavyWeight, 3rd
  • 1988 World Amateur Championships - IFBB, Light-HeavyWeight, 3rd
  • 1989 Olympia - IFBB, 13th

World Games - IFBB, HeavyWeight, 1st

  • 1990 Arnold Classic - IFBB, 3rd

Grand Prix Germany - IFBB, 3rd Olympia - IFBB, 9th

  • 1991 Arnold Classic - IFBB, 9th

Ironman Pro Invitational - IFBB, 3rd Olympia - IFBB, Did not place Pittsburgh Pro Invitational - IFBB, 4th

  • 1993 Arnold Classic - IFBB, 7th

Grand Prix Germany (2) - IFBB, 2nd Grand Prix Germany - IFBB, 4th Night of Champions - IFBB, 2nd Olympia - IFBB, 9th

  • 1994 Arnold Classic - IFBB, 5th

Grand Prix France - IFBB, 8th Grand Prix Germany (2) - IFBB, 5th Olympia - IFBB, 9th

  • 1995 Arnold Classic - IFBB, 4th
  • 1996 Arnold Classic - IFBB, 6th

San Jose Pro Invitational - IFBB, 7th

外部リンク[編集]