イタリア空軍のアクロバットチーム

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イタリア空軍の、アクロバットチーム/デモンストレーションチームの一覧形式記事。本記事では編成機数が2機以上かつ活動期間が足かけで2シーズン以上のチームだけを取り扱い、編成された年の上昇順に記述する。単機のチームや活動期間が2シーズンに満たないチームは、チームの母体となった隊や使用機の記事を参照のこと。

キャバリノ・ランパンテ (1950年-1952年、1956年-1957年)[編集]

Cavallino Rampante
リボルト航空基地で展示中の、1956年シーズン以降のキャバリノ・ランパンテの塗装を施したカナデア セイバー Mk.4 シリアル番号M.M. 19685
活動期間1950年
1956年
上級部隊4º Stormo Caccia (1950年-1952年)
4a Aerobrigata (1956年-1957年)
基地グロッセート航空基地 (全期間)
彩色赤、黄、青 (1956年以降)
使用作戦機
戦闘機バンパイア FB.5 (1950年-1952年)
セイバー Mk.4 (1956年-1957年)

初代 (1950年-1952年)[編集]

1950年、イタリア空軍初のディスプレイチーム キャバリノ・ランパンテ[注釈 1]イタリア語: Cavallino Rampante)が、グロッセート航空基地の第4戦闘航空団で5機のバンパイア FB.5戦闘爆撃機により編成され、1952年6月まで活動した。チーム名は第4戦闘航空団のエンブレム「跳ね馬」に由来する。

チームの機材には特別な塗装は施されず、第4戦闘航空団の作戦機としての塗装のままだった。キャバリノ・ランパンテの後任チームとして、1953年にジェッティ・トナンティが第5戦闘航空団で編成された。

2代目 (1956年-1957年)[編集]

1956年、前年に解散したジェッティ・トナンティの後任チームとして、キャバリノ・ランパンテがグロッセート航空基地の第4a航空旅団で5機のカナデア セイバー Mk.4戦闘機により再編成された。キャバリノ・ランパンテは1957年シーズン中に解散した。キャバリノ・ランパンテの後任チームとして、同年にディアボリ・ロッシが第6a航空旅団で編成された。

ジェッティ・トナンティ (1953年-1955年、1959年-1960年)[編集]

Getti Tonanti
シュパイアー技術博物館で展示中の、ジェッティ・トナンティの塗装を施したF-84F
活動期間1953年
1959年
上級部隊5º Stormo Caccia (1953年)
5a Aerobrigata (1953年-1955年)
5a Aerobrigata (1959年-1960年)
基地ヴィッラフランカ・ディ・ヴェローナ航空基地 (1953年-1955年)
リミニ航空基地 (1959年-1960年)
彩色別表参照
使用作戦機
戦闘機F-84G (1953年-1955年)
F-84F (1959年-1960年)

初代 (1953年-1955年)[編集]

1953年、前年に解散した第4戦闘航空団チーム キャバリノ・ランパンテの後任チームとして、ジェッティ・トナンティ[注釈 1]イタリア語: Getti Tonanti)がヴィッラフランカ・ディ・ヴェローナ航空基地の第5戦闘航空団で5機のF-84G戦闘機により編成された。チーム名は、ジェッティ・トナンティの編成当時に第5戦闘航空団が装備していたF-84Gの愛称「サンダージェット」のイタリア語訳である。ジェッティ・トナンティは1955年シーズンまでイタリア各地で活動し、解散した。チームの機材には特別な塗装は施されず、第5戦闘航空団/第5a航空旅団の作戦機としての塗装の状態だった。ジェッティ・トナンティの後任チームとして、1956年にキャバリノ・ランパンテが第4a航空旅団で再編成された。

2代目 (1959年-1960年)[編集]

1959年、翌年に控えたローマオリンピックのため、ジェッティ・トナンティはリミニ航空基地の第5a航空旅団で、5機+予備1機のF-84F戦闘爆撃機により再編成された。チームは1960年8月25日に挙行されたオリンピックの開会式で演技を行い、同年中に解散した。

1959年に再編成されたジェッティ・トナンティのF-84Fには、オリンピックにあわせて各機にそれぞれ異なる彩色が施された。オリンピックの開会式でジェッティ・トナンティが使用したF-84F各機の概要は下表のとおり。

シリアル番号 M.M. 5-653 M.M. 5-785 M.M. 5-619 M.M. 5-648 M.M. 5-36591 M.M. 7-721(予備機)
エアインテーク、
風防から方向舵にかけての機体上面、
ベントラルフィンの彩色

※訓練中は緑
垂直尾翼と方向舵の五輪の彩色
主翼上面と水平尾翼上面の彩色 主翼内側から順に国旗と同じ配色の緑、白、赤の矩形
主翼下面と水平尾翼下面の彩色 翼表面はエアインテークと同色の矩形、翼端は各機共通で赤

ティグリ・ビアンケ (1955年-1956年)[編集]

Tigri Bianche
ティグリ・ビアンケの使用機を再現した模型
活動期間1955年
上級部隊51a Aerobrigata (全期間)
基地イストラーナ航空基地 (全期間)
彩色赤、黄、青
使用作戦機
戦闘機F-84G (全期間)
輸送機C-47 (サポート機)

ティグリ・ビアンケ(イタリア語: Tigri Bianche)は1955年、イタリア空軍初の公式ディスプレイチーム[注釈 2]として、イストラーナ航空基地の第51a航空旅団で5機のF-84G戦闘機により編成された。チーム名の和訳は「白虎」。ティグリ・ビアンケは空軍の公式チームとして海外遠征にも対応するため、サポート機としてC-47輸送機がチームに同行した。

ティグリ・ビアンケはアメリカ合衆国カナダなど遠征を重ねたが、1956年に解散した。

ディアボリ・ロッシ (1957年-1959年)[編集]

Diavoli Rossi
イタリア国内で展示中の、ディアボリ・ロッシの1957年シーズン塗装を施したF-84F
活動期間1957年
上級部隊6a Aerobrigata (全期間)
基地ゲーディ航空基地 (全期間)
彩色赤 (1957年)
胴体:赤、主尾翼下面:緑、白、赤 (1958年)
使用作戦機
戦闘機F-84F (全期間)

1957年、同年中に解散が予定されていた第4a航空旅団チーム キャバリノ・ランパンテの後任チームとして、ディアボリ・ロッシ[注釈 1]イタリア語: Diavoli Rossi)がゲーディ航空基地の第6a航空旅団で6機のF-84F戦闘爆撃機により編成された。チーム名は第6a航空旅団のエンブレム「赤い悪魔」に由来する。チームが使用したF-84Fは機首側面に赤い悪魔と、悪魔が持つとされる三叉の鑓が描かれ、胴体と主尾翼上面の一部が赤で塗られた。1957年シーズン中は訓練に終始し、展示飛行を実施しなかった。

1958年、1956年に解散した第51a航空旅団チーム ティグリ・ビアンケの代わりとして、ディアボリ・ロッシは海外遠征にも従事することとなった。使用機の塗装はリニューアルされ、機体側面に赤帯が施されて三叉の鑓が白に変更されたほか、主翼と水平尾翼の下面はイタリア国旗と同じ緑、白、赤の配色となった。ディアボリ・ロッシは同年3月10日にドイツ連邦共和国 ビットブルク空軍基地でチーム初の展示飛行を実施し、同年5月17日にはアメリカ合衆国 ニュー・ヨークでも展示飛行を行った。ディアボリ・ロッシはオランダ イペンブルグ空軍基地で開催された航空ショーにも出場し、同ショーで北大西洋条約機構軍中最高のアエロバティック・チームと賞賛された。

1959年4月、ディアボリ・ロッシはアメリカ合衆国 ラス・ベガスで開催されたFirst World Congress of Flightにも出場したが、1959年シーズンの終了後に解散した。

ランチェリ・ネリ (1958年-1959年)[編集]

Lanceri Neri
イタリア国内で展示中の、ランチェリ・ネリの塗装を施したカナデア セイバー Mk.4
活動期間1958年
上級部隊2a Aerobrigata (全期間)
基地カーメリ航空基地 (全期間)
彩色黒、主尾翼下面のみ緑、白、赤 (全期間)
使用作戦機
戦闘機セイバー Mk.4 (全期間)

1958年、ランチェリ・ネリ[注釈 1]イタリア語: Lanceri Neri)がカーメリ航空基地の第2a航空旅団で6機のカナデア セイバー Mk.4戦闘機により編成された。チーム名は第2a航空旅団のエンブレム「黒い槍騎兵」に由来する。ランチェリ・ネリは第6a航空旅団チーム ディアボリ・ロッシが海外遠征に従事中、イタリア本土で彼らの不在を補った。ランチェリ・ネリは1959年シーズンの終了後に解散した。

ランチェリ・ネリ画像集[編集]

フレッチェ・トリコローリ (1961年-)[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b c d チーム名のカナ表記は梶田 『世界のアクロバットチーム』 に従う。
  2. ^ 非公式のチームを含めた場合、空軍初のディスプレイチームは1950年編成のキャバリノ・ランパンテ。イタリア空軍の公式ディスプレイチームは1955年に第51a航空旅団内に編成されたティグリ・ビアンケと、1961年に建制部隊として編制された第311曲技飛行隊フレッチェ・トリコローリの2チームだけである。

参考文献[編集]

  • 梶田達二 航空ファン別冊 航空ファンイラストレイテッド No. 26 『世界のアクロバットチーム』、文林堂、1985年。
  • Adrian M. Balch 『Aerobatic Teams of the World』、Airlife Publishing、1986年。ISBN 978-0-90639-357-4
  • Gérard PALOQUE 『AEROBATIC TEAMS』、Historie & Collections、2010年。ISBN 978-2-35250-168-8
  • Richard Ward - Aircam Aviation Series - Aircam Special No. S12 『Aerobatic Teams 1950-1970 (Volume 2)』、Osprey Publishing、1972年。ISBN 978-0-85045-090-3