ケネス・ハワード・ライト
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基本情報 | |
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国籍 | オーストラリア |
出身地 | メルボルン |
生年月日 | 1953年5月10日(71歳) |
身長 体重 | 186[1] cm 80[1] kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右[1]投右[1]打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1971年 ドラフト4位 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について |
ケネス・ハワード・ライト(Kenneth Howard Wright、1953年5月10日[2] - )は、オーストラリア・メルボルン出身[3](岡山県出身との記述もある[2])の元プロ野球選手(投手)。
NPBではケン・ライト (Ken Wright) と表記された[4]。
来歴・人物
[編集]オーストラリア人の父親と日本人の母親との間に生まれ、オーストラリア国籍を持つ[5][6]。生後間もなく両親が離婚[6]、4歳時に母親と共に日本へ移住した[5][7][6]。
岡山東商では1970年夏の甲子園に出場。この時は控えのため試合に出ることはなかった[7]。翌1971年夏の甲子園ではエースとして出場し、岡山東商をベスト4に導いている[2]。同期に内野手の岡義朗、一学年上に外野手の守岡茂樹がいる。
1971年のドラフトで阪急ブレーブスに4位指名され入団。しかし、2年間在籍して一軍に上がることができず、自ら退団を希望し[8]1973年限りで引退して、母国のオーストラリアに帰国した。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]- 一軍公式戦出場なし
背番号
[編集]- 51 (1972年 - 1973年)
脚注
[編集]- ^ a b c d B.B.MOOK 『プロ野球ドラフト全史 2009最新版』 ベースボール・マガジン社、2009年、179頁。
- ^ a b c 森岡浩 『プロ野球人名事典 2003』 日外アソシエーツ、2003年、629頁。
- ^ 「母にささげる剛速球」『小学六年生』 1971年10月号、小学館、156頁。
- ^ ら|プロ野球在籍者名簿 日本野球機構(2024年10月23日閲覧)
- ^ a b 『読売新聞縮刷版』1971年8月号、290頁。
- ^ a b c 『小学六年生』、157頁。
- ^ a b 『毎日新聞縮刷版』 1971年8月号、36頁。
- ^ 『週刊ベースボール』 1974年2月4日号、ベースボールマガジン社、81頁。