ケルト系キリスト教
ウィキペディアから無料の百科事典
ケルト系キリスト教(ケルトけい キリストきょう、Celtic Christianity) とは、イギリスやヨーロッパの各地域で、キリスト教が受容されていく際に、自然崇拝などの土着の宗教や風習が色濃く残った初期のキリスト教の形態を便宜上指したものである。ケルト教会 (Celtic Church) とも言うが、歴史的に正確な言葉ではない。
中世ケルト教会
[編集]古代のローマ帝国時代のイングランドにはキリスト教が一時は広まったが、ローマ軍団が大陸に引き上げ、異教のアングロサクソンが侵入するとキリスト教はイングランドから消滅した。アイルランドでは、キリスト教はイギリスから来たセントパトリックスが伝えたとされている。アイルランドにおけるキリスト教改宗は、土着の宗教を司る人々が中心になって行われた。つまりキリスト教は、土着の宗教を否定せず、寛容な形で、少しずつ浸透していったのである。異教のアングロサクソン・イングランドを再び教化したのは、ローマ教皇グレゴリウス1世に派遣され、597年ケントに上陸したカンタベリーのアウグスティヌスが率いる宣教団だけではない。アイルランドからヘブリディーズ諸島に渡った聖コルンバが創建したアイオナ修道院はスコットランドを教化したし、アイオナからノーサンブリアに移植された教会であるリンデスファーン修道院は北部イングランドを改宗させている。またこれらの修道院から修道院制度が海を渡って現在のオランダやドイツにまで伝えられた。中世の教会の中心となったアイオナ修道院やリンデスファーン修道院が9世紀にヴァイキングの度重なる襲撃によって荒廃すると、いつしかベネディクト会修道院にとって代わられ、土着の宗教色は姿を消した。
中世の教会の特徴
[編集]正統カトリックが世俗社会の教化のために司教制度を重視するのに対し、中世の教会は司教よりも修道院が教化に当ることを選好した。教義面でもイースターの日の数え方が違うなど、カトリックとは若干の差異があった。また教会はハイクロスをシンボルとして用いた。これは円形を刻印された十字架であり、同様の特徴ある十字架は、マルタ島などにも見られる。
スコットランドのアイオナ修道院、北部イングランドのリンデスファーン修道院、アイルランドのダロウ修道院では、渦巻・組紐・動物文様など明確なイニシュアアートの伝統を持つ華麗な装飾写本を生み出した。「ケルズの書」、「リンデスファーン福音書」、「ダロウの書」がよく知られている。
現代のキリスト教会
[編集]20世紀になってから、カトリックともプロテスタントとも異なる中世の教会への回帰運動がその聖地であるアイオナやリンデスファーンで始まり、米国でも人気を得るようになった。自然愛、教義性の欠如、他宗教への寛容と友好性を特徴とし、オカルト傾向にある。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 鶴岡真弓、松村一男『図説ケルトの歴史 文化・美術・神話をよむ』河出書房新社、2017年。ISBN 978-4-309-76263-0。
関連書籍
[編集]- バーナード ミーハン 鶴岡真弓 訳 『ケルズの書』 創元社 ISBN 4422230182
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- The Celtic Church(英語)
- Celtic Cross(英語)