ザン

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葛飾北斎画『椿説弓張月』より「人魚図」。人魚の下に描かれている生物が、沖縄のジュゴンと解釈されている[1]

ザンは、鹿児島県奄美群島および沖縄県での伝承上の[2]、またはジュゴンのこと[3]。「ザンノイオ」ともいう[3]。 名称についてはジュゴン#名称も参照のこと。

口承[編集]

沖縄の口承によれば、時おり数匹のザンが浅瀬に上がってくるが、それを漁師が捕えて家へ持って帰ると、その家の主婦が死ぬか、家族の誰かが海で災難に遭うため、捕らえて食べる際にも決して持って帰ってはならず、浜で直接料理して食べなければならないという[4]

また、奄美大島では、ときどき人間そっくりの顔を持つ魚が海上に浮かびあがり、船上の人に顔を見せてから沈むといい、これが現れると必ず海が大荒れになるので、船は急いで寄港したという[3]。奄美の民俗学者・恵原義盛はこれを「チュンチライュ」と名づけ、自著『奄美怪異談抄』においてジュゴンか人魚のことと推測しているが[3]、書籍によってはこれがザンと解釈されている[5]

伝説[編集]

沖縄出身の民俗学者・上勢頭亨の著書『竹富島誌』によれば、石垣島ではザンは美女の上半身と魚の下半身を持つ人魚とされ、ザンが津波を予言したという伝説が以下のように述べられている。

石垣島の野底村(現・石垣市)でのこと。ある夜遅く、漁師3人を含む若者たちが浜で遊んでいたところ、海の向こうから女の声が聞こえてきた。翌朝、その漁師3人が声の主を確かめようと船を出し、網を放ったところ、ザンが捕らえられた。漁師たちは喜んでザンを持ち帰ろうとしたものの、ザンが「私は海の外では生きられません」と涙ながらに命乞いをするので、漁師たちはザンを海へ帰してあげた。ザンは逃がしてくれた御礼にと「間もなくこの村に津波がやって来ます。早く山へ逃げて下さい」と告げ、海へ消えて行った。

3人は大急ぎで陸へ引き返し、人々にザンの告げたことを知らせて回った。付近の白保村では誰にも信じられなかったが、かろうじて信じた野底村の人々は3人と共に山へ避難した。

その日の夕刻。黒雲が立ち込めると共に、水平線の彼方から巨大な壁のような大津波が押し寄せてきた。山へ逃げた野底村の人々は生き延びたものの、お告げを信じなかった白保村の人々は皆、この大津波に飲み込まれてしまった[2]。これが、日本最大の津波ともされる1771年(明和8年)4月24日八重山地震の津波(明和大津波)だったという[2][6]

脚注[編集]

  1. ^ 京極夏彦 著、多田, 克己、久保田, 一洋 編『北斎妖怪百景』国書刊行会、2004年、75-81頁。ISBN 978-4-336-04636-9 
  2. ^ a b c 上勢頭 1971, pp. 84–86
  3. ^ a b c d 今野 1981, pp. 243–249
  4. ^ 島袋源七「沖縄における寄り物」『民間伝承』15巻11号(通巻162号)、民間伝承の会、1951年11月、9頁、NCID AN00236605 
  5. ^ 村上健司編著『日本妖怪大事典』角川書店〈Kwai books〉、2005年、157頁。ISBN 978-4-04-883926-6 
  6. ^ 津波の知識、津波の教訓”. 防災システム研究所. 2009年9月18日閲覧。

参考文献[編集]

関連項目[編集]