ジェニウソン・アンジェロ・デ・ソウザ

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ジュニオール
名前
本名 ジェニウソン・アンジェロ・デ・ソウザ
ラテン文字 Jenílson Ângelo de Souza
基本情報
国籍 ブラジルの旗 ブラジル
生年月日 (1973-06-20) 1973年6月20日(50歳)
出身地 サント・アントニオ・デ・ジェズス
身長 170cm
体重 65kg
選手情報
在籍チーム ブラジルの旗 アトレチコ・ミネイロ
ポジション DF
背番号 6
利き足 左足
代表歴
1996-2004 ブラジルの旗 ブラジル 22[1] (1)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ジュニオール(Júnior)こと、ジェニウソン・アンジェロ・デ・ソウザ(Jenílson Ângelo de Souza、1973年6月20日 - )は、ブラジルバイーア州出身の元サッカー選手。ポジションはDF(左サイドバック)。

経歴[編集]

ECヴィトーリアでプロデビュー。1996年、ロベルト・カルロスの後釜として パルメイラスに加入[1]。1999年にはコパ・リベルタドーレスの優勝を果たした。

2000年、パルメイラス時代のチームメートで パルマでプレーしていた、ファウスティーノ・アスプリージャの勧めもあり、当時セリエAのパルマに加入した[1]。2001-02シーズン、コッパ・イタリア決勝、ユヴェントスとの第2戦では決勝点を決めて優勝に貢献した[1]。2003-04シーズン、パルマが財政難になり、ACシエナへとレンタル移籍した[1]。2004年に母国のサンパウロFCへと移籍、2005年にはアトレチコ・パラナエンセを決勝で破って自身2度目のコパ・リベルタドーレス優勝を果たすと、12月にはリヴァプールを決勝で破ってFIFAクラブワールドカップを制した。

1996年にブラジル代表デビュー、1998年のゴールドカップではレギュラーとして全試合に起用されたが、同年のワールドカップフランス大会のメンバーからは漏れた。2002年、ワールドカップ日韓大会ではロベルト・カルロスの控えとして代表入り[1]、グループリーグ最終節のコスタリカ戦で先発起用され、代表初得点にして唯一の得点を挙げ、更にクロスで2つのアシストを決めた[2]。チームは大会で優勝を果たすも、この試合に出場したのみに終わった[1]

所属クラブ[編集]

イタリアの旗 ACシエナ 2003-2004 ※レンタル移籍

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g Junior, il campione del mondo che diede al Parma l'ultimo trofeo: oggi ha un ristorante”. GOAL (2022年1月20日). 2023年9月27日閲覧。
  2. ^ Junior Nationalteam”. Transfermarkt. 2023年9月27日閲覧。

外部リンク[編集]