ダニー・グレーブス

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ダニー・グレーブス
Danny Graves
2008年5月12日
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ベトナム共和国の旗 ベトナム共和国
サイゴン(現: ベトナム
生年月日 (1973-08-07) 1973年8月7日(50歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1994年 ドラフト4巡目
初出場 1996年7月13日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ダニー・グレーブスDaniel Peter Graves1973年8月7日 - )は、南ベトナムサイゴン(現ホーチミン)出身の元プロ野球選手。右投右打。ニックネームはBaby-faced Assassin

2022年シーズン終了時点で、MLB史上唯一のベトナム出身選手

経歴[編集]

プロ入りまで[編集]

父はアメリカ人、母はベトナム人。ベトナム戦争中に母がアメリカ大使館で働いていた時に軍人であった父と出会い、ダニーは米軍基地で生まれた。生後14か月でサイゴン陥落もあり家族でアメリカ合衆国に移住。移住後もダニーと兄弟のフランクは同級生にからかわれてベトナム語を放棄するまでベトナム語を話していた[1]

フロリダ州のブランドン高校を卒業後、マイアミ大学に進学し野球奨学金も与えられた。大学時代からリリーフとして活躍し、3年時には防御率0.89、大学記録の21セーブを記録した。

インディアンス時代[編集]

1994年クリーブランド・インディアンスからドラフト4巡目で指名され入団した。ドラフト指名されて2日後、カレッジ・ワールドシリーズ中に前十字靭帯を断裂した。

1年間のリハビリ後、1995年のインディアンスのマイナーリーグの投手の中で最高の投手となった。

1996年7月13日にはメジャー初登板を果たしベトナム出身者初のメジャーリーガーとなったが、2回3失点という結果だった。15登板で防御率4.55だった。

レッズ時代[編集]

1997年7月にシンシナティ・レッズにトレードされた。

1998年から5年連続で60試合以上に登板し、レッズのクローザーとして大活躍した。

2000年にはオールスターにも初出場した。同年11月には日米野球で大リーグ選抜チームの一員として来日している。

また、2000年と2001年に唯一放った安打はどちらも本塁打となっており、これは唯一の記録である。

2003年に先発に転向した。26先発で4勝15敗と負け越した[2]

2004年に再びクローザーに戻った。4月16日に、9回登板時サミー・ソーサに500本塁打となる本塁打を打たれた。その後2球を投じるとモイゼス・アルーにサヨナラ本塁打を打たれた。また2度目のオールスター出場を果たす(レッズの球団最多セーブ記録182セーブを保持している)。この年は41セーブを挙げた。

2005年シーズン当初の調子は良くなく、20登板で防御率7.36だった。レッズファンは注視し、頑としてブーイングを行い、5月23日には品位を乱す身振り英語版をダグアウト近くのファンに対して行ってからはグックと呼ばれるようになり、以降は監督デーブ・マイリー英語版により試合から連れ出された[3]。一連の事件後、早急にレッズから放出された[4]

メッツ時代[編集]

その後、2005年6月11日にニューヨーク・メッツと契約を結んだ[4]。メッツ移籍後も成績は上がらず、8月23日にDFAとなった。その後ウェイバーにかけられ、8月26日にAAA級英語版ノーフォーク・タイズに送られたが、ロースター拡張の段階でメジャーに復帰した。ノーフォークでは、5登板で0勝2敗防御率18.00だった[5]

インディアンス復帰[編集]

2005年12月19日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結んだ。

2006年スプリングトレーニングでは好投を続け、インディアンスのブルペンで位置を確保したが、開幕後13登板で2勝1敗防御率5.79だったため、5月12日にDFAとなった[6]。18日にバッファローにあるAAA級バッファロー・バイソンズに割り当てられた。バイソンズでは、防御率4.01で1勝1敗だった。

ロッキーズ傘下時代[編集]

2006年12月19日にコロラド・ロッキーズとマイナー契約を結んだ[7]

2007年シーズン開幕前の3月のスプリングトレーニング時に解雇される[8]

米独立リーグ時代[編集]

その後の2007年シーズン中はアトランティックリーグロングアイランド・ダックスでプレーを続け、リーグ最高のセーブを挙げた[9][10]

ツインズ傘下時代[編集]

2008年3月30日にミネソタ・ツインズと契約を結んだ。シーズンのほとんどをAAA級ロチェスター・レッドウイングスでプレーした[11]。シーズン後、FAとなった。

アストロズ傘下時代[編集]

2009年1月にヒューストン・アストロズとマイナー契約を結んだ。3月25日に放出された[10][12]

引退後[編集]

現在は120 Sports英語版、MLB.com、MLB Network Radio Sirus XM、ESPN Radioでアナリストを務めている。2018年にはシンシナティ・レッズ・ラジオネットワーク英語版で選択された試合のカラー解説を担当した[13]

人物[編集]

既婚者であり、2人の子供がいる。前妻からの連れ子が3人いる。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1996 CLE 15 0 0 0 0 2 0 0 -- 1.000 129 29.2 29 2 10 0 0 22 1 0 18 15 4.55 1.31
1997 5 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 56 11.1 15 2 9 0 0 4 0 0 8 6 4.76 2.12
CIN 10 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 78 14.2 26 0 11 1 0 7 1 0 14 10 6.14 2.52
'97計 15 0 0 0 0 0 0 0 -- ---- 134 26.0 41 2 20 1 0 11 1 0 22 16 5.54 2.35
1998 62 0 0 0 0 2 1 8 -- .667 340 81.1 76 6 28 4 2 44 4 0 31 30 3.32 1.28
1999 75 0 0 0 0 8 7 27 0 .533 454 111.0 90 10 49 4 2 69 3 0 42 38 3.08 1.25
2000 66 0 0 0 0 10 5 30 0 .667 388 91.1 81 8 42 7 3 53 3 1 31 26 2.56 1.35
2001 66 0 0 0 0 6 5 32 0 .545 337 80.1 83 7 18 6 4 49 2 1 41 37 4.15 1.26
2002 68 4 0 0 0 7 3 32 0 .700 412 98.2 99 7 25 9 3 58 5 0 37 35 3.19 1.26
2003 30 26 2 1 1 4 15 2 0 .211 741 169.0 204 30 41 6 7 60 2 0 108 100 5.33 1.45
2004 68 0 0 0 0 1 6 41 0 .143 290 68.1 77 12 13 6 2 40 2 0 39 30 3.95 1.32
2005 20 0 0 0 0 1 1 10 0 .500 99 18.1 30 4 12 3 0 8 3 0 18 15 7.36 2.29
NYM 20 0 0 0 0 0 0 0 1 ---- 98 20.1 29 5 8 1 3 12 0 0 17 13 5.75 1.82
'05計 40 0 0 0 0 1 1 10 1 .500 197 38.2 59 9 20 4 3 20 3 0 35 28 6.52 2.04
2006 CLE 13 0 0 0 0 2 1 0 0 .667 65 14.0 18 3 5 1 0 3 1 0 12 9 5.79 1.64
MLB:11年 518 30 2 1 1 43 44 182 *1 .494 3487 808.1 857 96 271 48 26 429 27 2 416 364 4.05 1.40
  • 「-」は記録なし
  • 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す

年度別守備成績[編集]



投手(P)












1996 CLE 15 2 2 0 0 1.000
1997 5 0 0 0 0 ----
CIN 10 3 3 1 0 .857
'97計 15 3 3 1 0 .857
1998 62 7 15 2 0 .917
1999 75 7 21 0 3 1.000
2000 66 5 24 1 4 .967
2001 66 6 21 0 0 1.000
2002 68 13 20 0 0 1.000
2003 30 12 35 0 2 1.000
2004 68 2 10 0 3 1.000
2005 20 1 4 1 0 .833
NYM 20 0 3 1 0 .750
'05計 40 1 7 2 0 .800
2006 CLE 13 1 3 1 1 .800
MLB 518 59 161 7 13 .969
  • 各年度の太字はリーグ最高

脚注[編集]

  1. ^ Ocker, Sheldon (2006年3月6日). “Baseball takes Graves family back to Vietnam”. Akron Beacon Journal. オリジナルの2016年8月4日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20160804035742/http://www.spokesman.com/stories/2006/mar/06/baseball-takes-graves-family-back-to-vietnam/ 2016年7月5日閲覧。 
  2. ^ Archived copy”. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月26日閲覧。
  3. ^ Reds end Graves' tenure after poor outing, altercation”. ESPN.com (2005年5月23日). 2017年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月6日閲覧。
  4. ^ a b Mets sign jettisoned closer Graves”. ESPN.com (2005年6月7日). 2017年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月6日閲覧。
  5. ^ AccessNorthGa.com. “AccessNorthGa.com - News Articles: North Georgia's Sporting News Weather and News”. 2007年9月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月6日閲覧。
  6. ^ Archived copy”. 2006年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2006年5月13日閲覧。
  7. ^ Archived copy”. 2014年4月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年4月26日閲覧。
  8. ^ Rockies release Danny Graves”. Redszone.com. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月6日閲覧。
  9. ^ Archived copy”. 2009年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月1日閲覧。
  10. ^ a b Danny Graves”. kffl.com. 2014年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年12月4日閲覧。
  11. ^ Twins sign Danny Graves - Page 2”. Redszone.com. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月6日閲覧。
  12. ^ Danny Graves Rumors”. MLB Trade Rumors. 2017年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年4月6日閲覧。
  13. ^ Here’s who will lead this year’s Opening Day parade

関連項目[編集]

外部リンク[編集]