ダヴィデ・ニコーラ

ウィキペディアから無料の百科事典

ダヴィデ・ニコーラ
リヴォルノ監督時(2012年)
名前
ラテン文字 Davide Nicola
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1973-03-05) 1973年3月5日(51歳)
出身地 ルゼルナ・サン・ジョヴァンニ
身長 177cm
選手情報
ポジション DF
ユース
イタリアの旗 ジェノア
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-2001 イタリアの旗 ジェノア 166 (4)
1993-1994 イタリアの旗 フィデーリス・アンドリア 26 (0)
1994-1995 イタリアの旗 アンコーナ 27 (0)
1998-1999 イタリアの旗 ペスカーラ 7 (0)
2002-2005 イタリアの旗 テルナーナ 94 (5)
2004-2005 イタリアの旗 シエーナ 15 (0)
2005-2006 イタリアの旗 トリノ 35 (1)
2006-2007 イタリアの旗 スペツィア 28 (0)
2007-2008 イタリアの旗 ラヴェンナ 14 (0)
2008-2010 イタリアの旗 ルメッツァーネ 49 (1)
通算 461 (11)
監督歴
2010-2012 イタリアの旗 ルメッツァーネ
2012-2014 イタリアの旗 リヴォルノ
2014 イタリアの旗 リヴォルノ
2014-2015 イタリアの旗 バーリ
2016-2017 イタリアの旗 クロトーネ
2018-2019 イタリアの旗 ウディネーゼ
2019-2020 イタリアの旗 ジェノア
2021 イタリアの旗 トリノ
2022-2023 イタリアの旗 サレルニターナ
2024- イタリアの旗 エンポリ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ダヴィデ・ニコーラ(Davide Nicola、1973年3月5日 - )は、イタリアルゼルナ・サン・ジョヴァンニ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。エンポリFC監督。

経歴[編集]

選手[編集]

ジェノアのユースチームで育ち、プロデビュー後もジェノアやテルナーナなどでキャリアの大半をセリエBで過ごした。2004-2005シーズンに在籍したシエーナで唯一セリエAの舞台を経験し、リーグ戦15試合に出場。セリエBのトリノFCに在籍していた2005-2006シーズンの昇格プレイオフ決勝では、延長戦に得点を挙げクラブのセリエA復帰に貢献した[1]。2010年にレガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ(3部)のルメッツァーネで現役を引退した。

監督[編集]

選手生活を終えたルメッツァーネで、2010年から指導者としてのキャリアをスタートした[2]

2012年夏、セリエBのリヴォルノの監督に就任。初年度の2012-13シーズンは3位となり、さらに4チームによる昇格プレーオフも制して、クラブを3年ぶりのセリエAに導いた[3]。指導者として初のセリエAの舞台となった2013-14シーズンであったが、降格圏に沈み1月に解任[4]。シーズン終盤の4月に再び呼び戻されたものの、クラブをセリエBへの降格から救うことはできなかった[5]

2014年11月17日、デーヴィス・マンジャの後任として、セリエBのバーリの監督に就任した[6]。初年度を10位で終え、続く2015-16シーズンも指揮を執ったが、2015年12月31日に解任された[7]

2016年6月23日、イヴァン・ユリッチの後任として、セリエAに初昇格したクロトーネの監督に就任した[8]。初年度の2016-17シーズンは序盤から苦戦し、第29節を終えた段階で勝ち点は14ポイントしか獲得できず、19位で降格圏に沈んでいた。それでも、第31節にはインテルに勝利し、第34節にはミランに引き分けるなど着実に勝ち点を積み重ねると、18位で迎えた最終節ラツィオ戦に勝利したことで、エンポリと入れ替わる形で残留ラインの17位でシーズンを終えた。結果的に第30節以降の9試合で6勝2分1敗の20ポイントを積み上げる形で、クラブをセリエA残留に導いた。なお、4月にインタビューで「もしセリエAに残留できたら、クロトーネから故郷のトリノまでを自転車で縦断する」という旨を冗談交じりで公言していたために、実際にシーズン終了後の6月9日から9日間かけてクロトーネの本拠地スタディオ・エツィオ・シーダからトリノ近郊のヴィゴーネまでの1300kmの道のりを自転車で走破した[9]。翌2017-18シーズンも引き続きクロトーネの指揮を執ったが、第15節を終えて16位となっているなか、2017年12月6日に辞任した[10]

2018年11月13日、フリオ・ベラスケスの後任として、セリエA17位のウディネーゼの監督に就任した[11]。就任後初の試合となったホームでのローマ戦には勝利したものの、その後は成績を立て直すことができず、ユヴェントスナポリに4失点を喫して連敗したのち、2019年3月20日に解任された[12]

2019年12月28日、ティアゴ・モッタの後任として、現役時代に長く在籍したジェノアの監督に就任した[13]。就任時にセリエAで最下位の20位に沈んでいたクラブを、新型コロナウイルスの流行でシーズンが一時中断される中、最終的には17位まで引き上げ1部残留に導いた。しかしシーズンオフ中の2020年8月26日にクラブを退団した[14]

2021年1月19日、マルコ・ジャンパオロの後任として、降格圏に沈むセリエA18位のトリノの監督に就任した[15]。最終的に17位でシーズンを終えクラブを1部残留に導いたものの、5月28日にクラブはニコーラの退団を発表した[16]

2022年2月15日、ステファノ・コラントゥオーノの後任として、セリエA最下位のサレルニターナの監督に就任した[17]。すると、4月16日のサンプドリア戦以降の7試合を4勝3分けで乗り切るなど、最終的に17位にまで順位を上げ、クラブを1部残留に導いた。シーズン終了後の6月3日、クラブと新たに2年間の契約を結んだ[18]。2022-23シーズン半ばの2023年1月15日に敵地で行われた第18節アタランタ戦で2-8の大敗を喫した翌日にはクラブから解任が発表されたが、その2日後には一転して続投が決定[19]。しかし、復帰後もリーグ戦4試合で1勝3敗の結果となるなか、2月15日に再び解任された[20]

2024年1月15日、アウレリオ・アンドレアッツォーリの後任として、セリエA19位のエンポリの監督にシーズン終了までの契約で就任した[21][22]

エピソード[編集]

2014年7月、自転車に乗っていた当時14歳の息子をバスとの交通事故によって喪った[23]。このこともあり、上述の2017年6月の自転車による9日間のイタリア縦断は、道路交通の安全への啓発も兼ねたものとなった[9]

脚注[編集]

  1. ^ Torino, la notte dell'impresa batte il Mantova e torna in A” (イタリア語). La Repubblica (2006年6月11日). 2022年5月7日閲覧。
  2. ^ Nicola nuovo tecnico del Lumezzane” (イタリア語). TUTTOmercatoWEB.com (2010年7月13日). 2022年5月7日閲覧。
  3. ^ Livorno-Empoli 1-0. Toscani in serie A, gol promozione di Paulinho” (イタリア語). La Gazzetta Dello Sport (2013年6月2日). 2022年5月7日閲覧。
  4. ^ Livorno, esonerato Nicola. Arriva Perotti, ma i tifosi contestano: "Non so se accetto"” (イタリア語). La Repubblica (2014年1月13日). 2022年5月7日閲覧。
  5. ^ Livorno, Nicola: "Rosa inferiore alle altre, ma ci abbiamo provato fino in fondo"” (イタリア語). La Repubblica (2014年5月11日). 2022年5月7日閲覧。
  6. ^ Bari, ecco Nicola: "Ho fame di successi, ma ora usciamo da questa situazione"” (イタリア語). La Gazzetta Dello Sport (2014年11月18日). 2022年5月7日閲覧。
  7. ^ Bari, esonerato Nicola. Ufficiale Camplone: "Squadra di qualità, faremo grandi cose"” (イタリア語). La Repubblica (2015年12月31日). 2022年5月7日閲覧。
  8. ^ Crotone, Nicola nuovo allenatore: La scelta migliore” (イタリア語). La Repubblica (2016年6月23日). 2022年5月7日閲覧。
  9. ^ a b Crotone, Nicola mantiene la promessa: è arrivato in bici a Torino” (イタリア語). La Repubblica (2017年6月18日). 2022年5月7日閲覧。
  10. ^ Crotone shock, Nicola si è dimesso. La decisione è ufficiale: ecco il comunicato” (イタリア語). La Gazzetta Dello Sport (2017年12月6日). 2022年5月7日閲覧。
  11. ^ Davide Nicola è il nuovo allenatore dell'Udinese” (イタリア語). Udinese Calcio (2018年11月13日). 2022年5月7日閲覧。
  12. ^ Nota ufficiale sulla guida tecnica” (イタリア語). Udinese Calcio (2019年3月20日). 2022年5月7日閲覧。
  13. ^ DAVIDE NICOLA E’ IL NUOVO TECNICO” (イタリア語). Genoa CFC (2019年12月28日). 2022年5月7日閲覧。
  14. ^ IL SALUTO A MISTER DAVIDE NICOLA” (イタリア語). Genoa CFC (2020年8月26日). 2022年5月7日閲覧。
  15. ^ Davide Nicola allenatore del Toro” (イタリア語). Torino FC (2021年1月19日). 2022年5月7日閲覧。
  16. ^ Grazie Nicola” (イタリア語). Torino FC (2021年5月8日). 2022年5月7日閲覧。
  17. ^ DAVIDE NICOLA È IL NUOVO ALLENATORE DELLA SALERNITANA” (イタリア語). U.S.Salernitana 1919 (2022年2月15日). 2022年5月7日閲覧。
  18. ^ DAVIDE NICOLA RINNOVA CON L’U.S. SALERNITANA 1919” (イタリア語). U.S.Salernitana 1919 (2022年6月3日). 2022年6月25日閲覧。
  19. ^ La Salernitana ha deciso, Nicola torna in panchina: "Credo in questo progetto"” (イタリア語). Sky Sport (2023年1月18日). 2023年2月22日閲覧。
  20. ^ COMUNICATO STAMPA” (イタリア語). U.S.Salernitana 1919 (2023年2月15日). 2023年2月22日閲覧。
  21. ^ Davide Nicola è il nuovo allenatore dell’Empoli” (イタリア語). Empoli FC (2024年1月15日). 2024年4月9日閲覧。
  22. ^ Empoli, Nicola è il nuovo allenatore al posto dell'esonerato Andreazzoli” (イタリア語). Sky Sport (2024年1月15日). 2024年4月9日閲覧。
  23. ^ Davide Nicola, che tragedia. Incidente in bici: muore il figlio 14enne” (イタリア語). La Gazzetta Dello Sport (2014年7月14日). 2022年5月7日閲覧。

外部リンク[編集]