ツヅラト峠

ウィキペディアから無料の百科事典

ツヅラト峠(ツヅラトとうげ)は、三重県度会郡大紀町と同県北牟婁郡紀北町の間にある。古くは紀伊国の玄関口、伊勢国紀伊国の国境だった峠である。北緯34度14分35秒 東経136度19分42秒 / 北緯34.24306度 東経136.32833度 / 34.24306; 136.32833

「ツヅラト」の名は、峠道が九十九折りの急坂であることにちなむとされ、あまりに急であることから徳川頼宣紀州藩主を務めた頃に荷坂峠(現国道42号)を越えるルートに熊野街道が変更された[1]

概要[編集]

世界遺産熊野古道の中にある峠で海抜は357m。紀北町側に約300mにわたって石畳道が残る[2]。伊勢路の中では3番目に観光客が多く、2012年は30,183人が訪れた[3]

峠道の名所[編集]

大紀町側[編集]

  • 紀州公句碑 - 当地を訪れた紀州藩主(詳細は不明)が詠んだとされる「牟婁こえて 鶯聞くや 梅が谷」の句が刻まれた碑[2]

紀北町側[編集]

  • ツヅラト峠頂上 - 標高357m[2]。赤羽川河口に広がる紀伊長島中心街を一望する[2]
  • 石垣 - 野面乱層積(のづららんそうづみ)で造られ、峠道の法面(のりめん)を保護する[2]
  • 庚申堂 - 江戸時代に造られた3体の石仏を納める[2]

脚注[編集]

  1. ^ 三重県政策広聴広報課 編(2000):8ページ
  2. ^ a b c d e f 三重県地域振興課(1999):7ページ
  3. ^ 宮崎正嗣"浜街道・花の窟「一人勝ち」 熊野古道伊勢路 昨年の観光客数 全体の3割9万1844人 マイカー利便性反映"中日新聞2013年5月5日付朝刊、三重版20ページ

参考文献[編集]

  • 三重県政策広聴広報課 編『伊勢から熊野へ 再生を願う巡礼の道 東熊野街道』県政だより みえ「三重再発見」総集編、小倉肇 著、三重県政策広聴広報課、平成12年3月、25p.
  • 『みんなであるこう 熊野古道』三重県地域振興課、平成11年6月、17p.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]