デュドネ・ランスロ

ウィキペディアから無料の百科事典

デュドネ・ランスロ
Dieudonné Lancelot
ムスティエ焼きの水差しとボウル[1]
(デュドネ・ランスロ画)
本名 Dieudonné Auguste Lancelot
誕生日 (1823-02-02) 1823年2月2日
出生地 フランス王国セザンヌ
死没年 1895年4月21日(1895-04-21)(72歳)
死没地 フランスの旗 フランス共和国マラコフ
国籍 フランスの旗 フランス
芸術分野 版画イラスト
テンプレートを表示

デュドネ・ランスロ (Dieudonné Lancelot1823年2月2日 - 1895年4月21日) はフランスリトグラフ作家、版画家イラストレーター

経歴[編集]

ヴラフ人の女性[2]

デュドネ・オーギュスト・ランスロは1823年にマルヌ県 セザンヌで生まれた。彼の父親であるニコラ・ランスロはフランスの軍人、ジャック・マクドナルの娘の家庭教師を務めた人物であった。彼はトロワで画家のアン・フランソワ・アルノーから絵画を習った。画学校にはのちに版画家となるエミール・テロンがいた。

彼は1853年から1876年まで時折サロンに作品を出展し、雑誌「ル・トゥール・デュ・モンド」、「マガザン・ピトレスク」、「ル・モンド・イリュストレ」、「Les Jardins」(レ・ジャルダン)、「Le Guides-Itinéraire」(ル・ギデ - イティネレール、旅程ガイドの意味)などにイラストを描いた[3]

1855年にはエミール・テロンと共同で、ルイ・アシェットが出版した旅行ガイドブック「Guides-Cicerone du Paris illustré, guide itinéraire pour les voyageurs」にビネットを描き、1867年にはパリ万国博覧会のスケッチを残している[4]。彼は1895年4月21日にマラコフで死去した。現在、トロワ美術館には彼の水彩画が収蔵されている。

なお、彼の3人の子供であるカミーユ、ガブリエル、マルセルも版画家であり、1854年に生まれた娘のマルセル・ルネ・ランスロ - クローチェは、イタリア人と結婚し、メダルの彫刻家としても活動した。

作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ シャルル・ダビリエ・コレクション。「マガザン・ピトレスク」掲載。
  2. ^ ル・トゥール・デュ・モンド」掲載。
  3. ^ Frédéric Bernard, De Paris à Lyon et à Troyes, col. guides itinéraires, ouvrage illustré de 80 vignettes dessinées d'après nature par Lancelot, librairie de L. Hachette, Paris 1854, p. 53 intégral (consulté le 11 décembre 2010).
  4. ^ ル・モンド・イリュストレ」掲載

参考文献[編集]

デュドネ・ランスロのサイン (年代不明)
  • Emmanuel Bénézit, Dictionnaire des peintres, sculpteurs, dessinateurs et graveurs, 1976, tome 6, page 413.

外部リンク[編集]