トニ・ロベール=フルーリー

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トニ・ロベール=フルーリー
Tony Robert-Fleury
誕生日 1837年9月1日
出生地 フランス、パリ
死没年 1911年12月8日
死没地 フランス、パリ
芸術分野 アカデミー・ジュリアン教授
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トニ・ロベール=フルーリー(Tony Robert-Fleury、1837年9月1日 - 1911年12月8日[1]フランスの画家である。パリの私立美術学校、アカデミー・ジュリアンなどで多くの画家を教えた[2]

略歴[編集]

パリで生まれた。父親も画家でパリ国立高等美術学校(エコール・デ・ボザール)の教授、ジョゼフ=ニコラ・ロベール=フルーリーである。エコール・デ・ボザールに入学し、父親やレオン・コニエに学んだ。1866年に初めて、サロン・ド・パリ1861年のポーランドの蜂起を題材に歴史画の大作を出展した。翌年の出展作「Vieilles Femmes sur la place Navone, Rome」はリュクサンブール美術館の展示品として買い上げられた。その後も多くの歴史画や壁画を描いた。

1894年からパリのアカデミージュリアンで素描と絵画の教授を務め、多くの画家を育てた。1905年からはエコール・デ・ボザールの教授を務めた。1904年からフランス芸術家協会の会長に就いた。1907年、レジオンドヌール勲章(コマンドール)を受勲した[1]

ロベール=フルーリーの教えた学生[編集]

作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b French Ministry of Culture, National Archives: Document of Commander of the Legion of Honour
  2. ^ Collier, Peter; Lethbridge, Robert (1994). Artistic Relations: Literature and the Visual Arts in Nineteenth-century France. London: Yale University Press. p. 50. ISBN 9780300060096. https://books.google.co.uk/books?id=b6BgRGJO3KYC&pg