ドゥディ・セラ

ウィキペディアから無料の百科事典

ドゥディ・セラ
Dudi Sela
2013年クイーンズ・クラブ選手権でのドゥディ・セラ
基本情報
フルネーム Davis Dudi Sela
愛称 ドゥディ(Dudi)
国籍 イスラエルの旗 イスラエル
出身地 同・キリヤット・シュモナ
居住地 同・テルアビブ
生年月日 (1985-04-04) 1985年4月4日(39歳)
身長 175cm
体重 67kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2002年
ツアー通算 1勝
シングルス 0勝
ダブルス 1勝
生涯獲得賞金 4,003,831 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 3回戦(2009・15・16)
全仏 2回戦(2009・15)
全英 4回戦(2009)
全米 2回戦(2007・10・11・13・14・17)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(2010)
全仏 2回戦(2010・12)
全英 3回戦(2016)
全米 3回戦(2009)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 29位(2009年7月20日)
ダブルス 122位(2010年2月22日)
2018年10月16日現在

ダヴィド・"ドゥディ"・セラヘブライ語: דודי סלע‎, Davis "Dudi" Sela, 1985年4月4日 - )はイスラエルキリヤット・シュモナ出身の男子プロテニス選手。ATPツアーではダブルスで1勝している。ATP最高ランキングはシングルス29位、ダブルス122位。身長175cm。右利き、バックハンド・ストロークは片手打ち。日本語では「デュディ・セラ」の表記も多い。

選手経歴

[編集]

ジュニア時代

[編集]

父親がバス運転手、母親は看護婦という家庭に生まれ、4人兄弟の末っ子として育った。彼は7歳からキリヤット・シュモナにある「イスラエル・テニスセンター」でテニスを始め、ジュニア時代には同センターの理事長を務めていたアモス・マンスドルフを専属コーチに付けていた。

2002年 プロ転向

[編集]

シングルスで2002年全豪オープン2002年全米オープンでそれぞれベスト8入り。そのジュニアキャリアと並行する形で2002年にプロ入り。

2003年 世界ジュニア9位

[編集]

全仏オープンでベスト8、全米オープンはベスト4の成績を残した。ダブルスでも2002年全米オープンでミカエル・リューデシュテットと組みベスト4入り。2003年全仏オープンではジョルジ・バラージュと組み優勝を果たすなどの成績を残し、ITFジュニアランクも最高9位をマーク。早くから国際的に名の知れたトップジュニアとして活躍していた。

2005年 グランドスラム初出場

[編集]

2005年全仏オープン4大大会にデビュー。予選3試合を勝ち抜いた彼は、本戦1回戦で第1シードのロジャー・フェデラーに挑戦し、1-6, 4-6, 0-6のスコアで敗れた。同年9月から男子テニス国別対抗戦デビスカップイスラエル代表選手に選ばれた。

2007年 トップ100位入り

[編集]

2007年全豪オープンで2度目の4大大会本戦に出場し、マラト・サフィンとの2回戦に進出した。この年の全仏オープンウィンブルドン選手権は予選で敗退したが、全米オープンは予選勝者としてフアン・モナコとの2回戦に勝ち進んだ。10月のジャパン・オープン・テニス選手権で準々決勝に進み、リシャール・ガスケに4-6, 1-6で敗れる。この後、セラは11月17日-25日に慶應義塾大学創立150年記念イベントとして行われた慶應チャレンジャー国際テニストーナメントに出場し、決勝で鈴木貴男を6-7, 6-4, 6-2で破って優勝した。

2008年 ツアー初の決勝進出

[編集]

2008年9月のチャイナ・オープンで、セラはATPツアーで初めて決勝進出を果たす。この決勝戦ではアンディ・ロディックに4-6, 7-6(6), 3-6で敗れ、ツアー初優勝を逃した。

2009年 ウィンブルドン4回戦進出 デビス杯ベスト4

[編集]

2009年全豪オープンで初の3回戦進出を決め、前年度準優勝者のジョー=ウィルフリード・ツォンガに4-6, 2-6, 6-1, 1-6で敗れた。全仏オープン終了後に世界トップ50入り。ウィンブルドン選手権にて、彼はイスラエルの男子選手として1989年アモス・マンスドルフ以来20年ぶり、史上2人目となる4回戦進出を成し遂げたが、第4シードのノバク・ジョコビッチに2-6, 4-6, 1-6のストレートで完敗した。7月20日に自己最高の29位となった。イスラエルの男子テニス選手がシングルスで世界トップ30に入ったのは、シュロモ・グリックスタイン(シングルス自己最高位:22位)、アモス・マンスドルフ(同18位、当地男子の最高順位)、ハレル・レビ(同30位)に次いで史上4人目となる。

2014年 ツアー2度目の準優勝

[編集]

2014年アトランタ・テニス選手権で6年ぶりにATPツアーの決勝に進出するも、ジョン・イズナーに3–6, 4–6で敗れた。

ATPツアー決勝進出結果

[編集]

シングルス: 2回 (0勝2敗)

[編集]
大会グレード
グランドスラム (0-0)
ATPワールドツアー・ファイナル (0-0)
ATPワールドツアー・マスターズ1000 (0-0)
ATPワールドツアー・500シリーズ (0-0)
ATPワールドツアー・250シリーズ (0–2)
サーフェス別タイトル
ハード (0–2)
クレー (0-0)
芝 (0-0)
カーペット (0-0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2008年9月28日 中華人民共和国の旗 北京 ハード アメリカ合衆国の旗 アンディ・ロディック 4–6, 7–6(6), 3–6
準優勝 2. 2014年7月27日 アメリカ合衆国の旗 アトランタ ハード アメリカ合衆国の旗 ジョン・イズナー 3–6, 4–6

ダブルス: 1回 (1勝0敗)

[編集]
大会グレード
グランドスラム (0-0)
ATPワールドツアー・ファイナル (0-0)
ATPワールドツアー・マスターズ1000 (0-0)
ATPワールドツアー・500シリーズ (0-0)
ATPワールドツアー・250シリーズ (1–0)
サーフェス別タイトル
ハード (0–0)
クレー (1-0)
芝 (0-0)
カーペット (0-0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
優勝 1. 2016年5月1日 トルコの旗 イスタンブール クレー イタリアの旗 フラビオ・チポッラ アルゼンチンの旗 アンドレス・モルテーニ
アルゼンチンの旗 ディエゴ・シュワルツマン
6–3, 5–7, [10-7]

シングルス成績

[編集]
略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 2018 通算成績
全豪オープン A A A LQ 2R 2R 3R 1R 1R 1R 1R 1R 3R 3R 2R 1R 9–12
全仏オープン A A 1R LQ LQ 1R 2R 1R A 1R A 1R 2R 1R A 1R 2–9
ウィンブルドン A A LQ LQ LQ 1R 4R 1R 2R 1R LQ 1R 1R 1R 3R 1R 6–10
全米オープン LQ A LQ LQ 2R 1R 1R 2R 2R A 2R 2R 1R 1R 2R A 6–10

大会最高成績

[編集]
大会 成績
ATPファイナルズ A 出場なし
インディアンウェルズ 3R 2010, 2018
マイアミ 2R 2008
モンテカルロ Q1 2009
マドリード A 出場なし
ローマ A 出場なし
カナダ 1R 2009, 2016, 2017
シンシナティ 1R 2009
上海 1R 2009
パリ A 出場なし
オリンピック 2R 2016
デビスカップ SF 2009
ATPカップ A 出場なし

外部リンク

[編集]