ニッポンシネマコーポレーション

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株式会社ニッポンシネマコーポレーション
Nippon Cinema Corporation
種類 株式会社
市場情報 消滅
略称 NCC
本社所在地 日本の旗 日本
東京都千代田区有楽町1-12 日本生命館
設立 1948年3月
業種 サービス業
事業内容 映画の輸入配給
関係する人物 曾我正史
加藤辰彌
特記事項:
1948年3月 創立
1961年7月 合併して日本ヘラルド映画株式会社(現在の角川映画
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株式会社ニッポンシネマコーポレーション(Nippon Cinema Corporation、1948年3月 - 1961年7月 合併)は、かつて存在した日本の映画会社である。略称はNCCである。1960年代後半に日本で配給業務を行ったニュー・シネマ・コーポレーション(NCC)とは別の企業である。

略歴・概要[編集]

1945年(昭和20年)8月15日の第二次世界大戦終了以降、日本でもアメリカ映画を中心とした連合国の映画が解禁になり、同社は、1948年(昭和23年)3月、その流れのなかで設立され[1]、広く欧米の映画を日本に紹介した。

アメリカのインディペンデント映画会社であるリパブリック・ピクチャーズと共同で同社の映画を配給するほか、英国映画協会の日本事務所と組んでイギリス映画イタリフィルムと組んでイタリア映画等を配給したほか、北欧映画外映協(外国映画輸入配給協会)、日活大映とも共同配給を行った。戦前に製作された作品も、さかのぼって初公開した。

同社の会長を務めた曾我正史は、戦前の映画監督・振津嵐峡としても知られ、戦後大映の専務取締役、1958年(昭和33年)には大映を退社し、日映を設立した人物である[2]。また会長を歴任した加藤辰彌外国映画輸入協会会長も務めた。

1957年(昭和32年)、ヘラルド映画が北欧映画と合併し、1960年(昭和35年)からはヘラルド映画とも共同配給を進めたが、1961年(昭和36年)7月、ヘラルド映画株式会社と合併して、日本ヘラルド映画株式会社(現在の角川映画)となり、消滅した。

おもなフィルモグラフィ[編集]

製作年順、すべて配給

戦前・戦中作品[編集]

1940年代[編集]

1950年代[編集]

1960年代[編集]

[編集]

  1. ^ 『戦後日本のメディア・イベント 1945-1960年』、津金澤聰廣世界思想社、2002年3月 ISBN 4790709175, 年表。
  2. ^ 日本映画発達史 IV 史上最高の映画時代』、田中純一郎、1976年3月10日 ISBN 4122003156, p.451.