ノート:エフゲニー・プルシェンコ

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議員[編集]

「ロシアで議員に当選し議員活動も開始」と書かれていますが、何の議員でしょうか。--Bluebell 2008年2月18日 (月) 10:59 (UTC)[返信]

こんにちはBluebellさん。サンクトペテルブルグ市議会の議員です。--デンスケ 2008年2月18日 (月) 14:06 (UTC)[返信]

3回転アクセル-ハーフループ-3回転フリップに関して[編集]

その後3回転アクセル-ハーフループ-3回転フリップのジャンプシークエンスを史上初めて決めるなどしたもののとの記述に関し、このコンビネーションはNHKの刈屋アナの実況によれば「狙ったのは3アクセルー3トウループ」とあり、ハーフループが入った時点でミスジャンプなので特筆すべき技には当たらないと思うのですが、如何でしょうか?

あと、仮に特筆すべき偉大な技だとして、2回目の3回転の表記はどうすべきでしょう?NHKの解説の五十嵐さんは「3アクセル-ハーフループから-3トウループ」と言っていたのに対し佐野稔さんの解説では「3アクセルミスったと思ったら3フリップになっちゃったよ!」と言っていたのを記憶しています。どちらが正しいのでしょう?--デンスケ 2008年3月13日 (木) 18:06 (UTC)[返信]

特に異論もなかったので除去しました。--デンスケ 2008年3月22日 (土) 20:37 (UTC)[返信]

こんにちはデンスケさん。ソルトレイクオリンピックのジャンプ構成を見る限り、最初から3A-hl-3Fを狙っていたと考えます。ここで3Tにすると3Fを跳ばなかったことになってしまいますし、現にその後の試合でもこのジャンプを何度か跳んでいます。根拠にされている実況・解説についても、ソルトレイクオリンピックの放送を確認したところ「3Aから3Fのジャンプシークエンス」と表現されていました。 なお、旧採点下ではハーフループ入りのシークエンスジャンプもコンビネーションと同等に評価されていました。踏み切りの足の都合で、TとLo以外のジャンプをセカンド以降にもってくる場合はハーフループが入ります。決して「ハーフループが入った時点でミスジャンプ」ではありません。ちなみに「3アクセル-ハーフループ-3トウループ」は3Aと3Tを逆回転で跳ばない限りありえませんし、問題となっているセカンドジャンプは踏み切り的にフリップで正しいと思います。ジャンプシークエンスなので新採点下でやる人はいませんが、間違いなく最高難度のコンビネーションジャンプの一つですし、削除する必要はなかったのではないかと思います。--Mistsu13 2008年7月1日 (火) 14:36 (UTC)[返信]

出典の明記をお願いします[編集]

プルシェンコ氏は存命の人物です。特に私生活関連の出典無き記述は問題が多いので、可及的速やかに出典の明記をお願いします。--Peachkiller 2009年10月24日 (土) 10:58 (UTC)[返信]

浅田真央のトリプルアクセルに関する発言[編集]

執筆~加筆除去復帰再除去と、なんだか編集合戦のような形になっています。必要に応じて議論をお願いします。--Bluebell 2010年3月3日 (水) 15:43 (UTC)[返信]

削除理由を書いてくれないので議論のしようがありません。もう、どうでもいいです。--ファビョリーズ 2010年3月3日 (水) 15:49 (UTC)[返信]
いちおう私の見解を書いておくと、プルシェンコの人物伝で浅田のトリプルアクセルに対するコメントに触れることにはそれなりの意味があると思います。自身が4回転ジャンプを跳んで採点システムに異議を唱えるのと同じく、高難度ジャンプに挑むことがフィギュアスケートという競技の発展につながるのだ、というプルシェンコの思想があらわれた発言だと思われるからです。一方で、ちょっとこの内容は浅田真央に(中立性的な意味ではなく話題として)寄りすぎではないかという印象もあります。ちょうど文芸評論家の人物伝に、彼による作家評、作品評がずらずら書かれているのと同じような感じというか…。フィギュアスケートの採点法のコメントでもちょろっと書いたことですが、四回転論争とかジャンプの採点の扱いについてまとめて扱う項目ができるといいのではないか、ここで問題にしているトリプルアクセル絡みの発言もそこで拾えるといいのではないか、という気がしています。--Bluebell 2010年3月4日 (木) 02:27 (UTC)[返信]
四回転論争とかジャンプの採点の扱いについてまとめて扱う項目

かつて以下のような記述がありましたが、編集合戦になるばかりで意味も無く、プロパガンダの紹介ベージになりそうだったので丸ごと消えたことがあります。 多分今やってもプロパガンダの応酬になるだけだと思います。

http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%88&oldid=12415663

四回転に対する意識の変遷

現在の採点システムでは旧採点システムに比べて四回転の価値がさほど高くない。旧採点システムでは四回転を成功させることが勝敗を大きく左右した。そのはしりとなったのが現役時代のエルビス・ストイコであり、やがて『空中戦』といわれる時代が到来し、ショートプログラム、フリープログラムの両方で四回転を跳ばなければ勝負にならないとまで言われた。事実2002年前後は四回転時代と呼ばれたほどに、多くの選手が四回転、そして四回転からのコンビネーションジャンプをプログラムに取り入れ、四回転ジャンプが偏重された時期があった。また、プログラムの前半に難度の高いジャンプを集めて後半は簡単なジャンプのみで逃げ切りを図る傾向が顕著にみられた(例えばアレクセイ・ヤグディンやプルシェンコはプログラムの前半に四回転を1回あるいは2回跳び、次に三回転アクセルを2回決め勝敗の大勢を決してしまった)。

しかし、現在の採点システムにおいてジャンプの基礎点は(後半は1.1倍)

  • 三回転アクセル:7.5
  • 四回転トウループ:9.0
  • 四回転サルコウ:9.5

となっており、三回転アクセルと四回転トウループの点差はわずか1.5点しかない。さらに、上述したジャンプの場合にあるように、回転不足で三回転と判定されてしまうと点数は5点以上落ち、ザヤックルールへの配慮も必要となるため、四回転はハイリスクローリターンなものとなっている。

もちろん四回転と認定されれば転倒してもそれなりの点が与えられるが、これは四回転という認定が与えられた場合であることを忘れてはならない。大抵の場合、転倒するのは回転不足が原因であり、ほとんど点にならない。

現在の採点では、手順1:それが厳密に四回転であるか、手順2:精度の高い四回転であるか否か、という手順を踏んだ評価で客観性を高めている。このためプログラムに無理に四回転トウループを組んで失敗するよりも安全に三回転アクセルを美しくまとめて、確実性、完成度の高さで勝負する選手も多い。練習では四回転を飛べていても戦術上、あえて試合で挑戦しない場合も多々ある。しかし、Quad-Jumperと呼ばれるような四回転を高い確率で成功させる選手は当然積極的に四回転を構成に入れている。

上記の通り、四回転を1回成功させただけでは一発逆転の要素が減じた反面、コーチ・振付師・選手ともスケート全体の良質な構成を考える傾向になり、スピンやステップにも余念の無い演技が見られるようになった。

しかし選手やスタッフが採点システムの仕組みを熟知し、スピン、ステップのレベル獲得の研究、対応が進んだ06-07シーズンからは男子選手の四回転への挑戦回数が増している。これは上位の選手がスピン、ステップのレベルを獲得し、四回転まで成功させると、いくら四回転の評価が低いとはいえ、それに次ぐ選手達たちも四回転を成功させなければ逆転のしようがないからである。特に、フランスのブライアン・ジュベール選手が1つのフリースケーティングで3度の四回転を成功させた(これは上記の四回転時代ですらティモシー・ゲーブル,張民,本田武史のわずか3人しかなし得なかったことである)ことをうけ、男子シングルは再び四回転時代に突入すると予想する声もある。 --Kulole 2010年3月16日 (火) 15:39 (UTC)[返信]

1998年世界選手権[編集]

イリヤ・クーリックの棄権により急遽初出場することとなった1998年世界選手権では、

この記述は誤りではありませんか? 最初から、オリンピックがクーリックとヤグディン、世界選手権がクーリックとプルシェンコとなっていて、クーリックが棄権したため出場できたのはヤグディンだったと思います。--Kulole 2010年3月16日 (火) 15:39 (UTC)[返信]

1998年のことは実際に見てはいないのですが、当時のロシア記事にはミーシン談として『クーリックが世界選手権2日前に棄権したためプルシェンコが穴埋めで出場した』『プルシェンコはロシアのワールドチームには入っていなかったが、ミーシンが個人的にチケットを買いアメリカに連れて行き、アン・エイヴスンの家に泊めさせてオックスフォード大やセントポールフィギュアスケートクラブのリンクを借りて、念のために備えさせ練習を続けさせた』というようなことが書いてあるそうです。プルシェンコのロシア記事訳をスクラップしている個人サイトに、それがありました。

またElena Vaytsekhovskayaのコラム「孤独な王」にも同様の記述『(プルシェンコが)ミネアポリスに行くことになったのはクーリックの棄権という全くの偶然から……』があるようですが…。 --pochi 2010年3月20日 (土) 18:21 (UTC)

 15歳で最年少メダリストになったという記述がありますが、フランスのアラン・ジレッティ(Alain Giletti、1939年11月9日 - )が1954年に当時14歳で世界選手権メダリストになったという記録があるのですが…--219.110.73.55 2011年3月2日 (水) 09:35 (UTC)[返信]

『オーバーカム』(ヤグディン自伝)で確認できるプルシェンコ情報[編集]

後々の編集に備えた情報共有の意味でメモ。ソルトレイク五輪のSP後、キス・アンド・クライでプルシェンコを残しミーシンが立ち去った(pp.247-248)。2002年欧州選手権は鼠渓部を傷めて欠場した(p.205)。--Bluebell 2011年1月2日 (日) 12:06 (UTC)[返信]

最年少[編集]

> 翌年の1997年世界ジュニア選手権では14歳で優勝。これは現在も史上最年少記録である。

世界ジュニアでの男子最年少優勝に関し、初代優勝のマーク・カックレルが13歳11ヶ月で優勝してます。 なので除去しました。

> 1998年世界選手権では、15歳にして3位表彰台にのぼり史上最年少メダリスト(現在も世界記録) となる

世界選手権ではアラン・ジレッティが14歳4ヶ月で銅メダルを獲得しています。 なので除去しました。 --丸和太郎会話2016年11月29日 (火) 10:43 (UTC)[返信]

外部リンク修正[編集]

編集者の皆さんこんにちは、

エフゲニー・プルシェンコ」上の16個の外部リンクを修正しました。今回の編集の確認にご協力お願いします。もし何か疑問点がある場合、もしくはリンクや記事をボットの処理対象から外す必要がある場合は、こちらのFAQをご覧ください。以下の通り編集しました。

編集の確認が終わりましたら、下記のテンプレートの指示にしたがってURLの問題を修正してください。

ありがとうございました。—InternetArchiveBot (バグを報告する) 2018年3月27日 (火) 15:30 (UTC)[返信]