ノート:ジャン・アンリ・ファーブル

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反進化論の項目について[編集]

本文中に「現代の進化論信奉者」の意見が書かれていますが、 そのような進化論についての統一見解は日本進化学会や海外のいくつかの学会のホームページ を見たかぎりでは出されていないようです。

また、Wikipedia内の進化の項目では進化という概念に対する誤解として 「進化に目的はない」という見出しでの記事が挙げられており、 本文中の「泳ぐために発達した」という文章も適切かどうか判断しかねます。

よって、出典のないまま上記の内容を残すことは無理があると思われます。

ただ、現代ではなく後世の特定の学者の意見として出版がなされており その論旨がファーブル氏の研究と密接に関係するのであれば、 この内容を残す価値はあると考えています。

とりあえず要出典タグをつけるだけにしておきますので、 議論のほどよろしくお願いいたします。--HANSON 2008年6月12日 (木) 09:43 (UTC)[返信]

約二ヶ月が過ぎましたが何の修正もなかったため、当該箇所をコメントアウトし、極力文意を壊さないように編集しました。
コメントアウトの理由は「現在の」「思われる」といった主観的な表現が使われていること、信奉者の意見と研究者の意見の対比は意味が薄いと思われること、進化論の現状を表す記述の信憑性が疑われることの3点です。
同時代の研究者との比較は有用であると思われたので残しました。後で昆虫記の記述もチェックして、必要ならば加筆しようと思います。--HANSON 2008年8月5日 (火) 23:33 (UTC)[返信]

ダーウィニズムの論客、スティーヴン・ジェイ・グールド(Stephen Jay Gould, 1941-2002)の行った議論(『<進化論への招待>ダーウィン以来(上)』より、第3部 風変わりな生物たちと進化の類例、12章 完成化の問題-魚をのせている二枚貝)を参考に、「複雑な本能行動が進化によって完成されたと考えられる」ことを議論してみよう。複雑な適応は一足跳びに生じてくるのではなく、自然選択は、最終的な適応構造の単なる一部分としての意味しかもっていないように見える諸要素を、次々と寄せ集めることによって、一連の中間段階を経て徐々に適応を作り上げてゆく。そうしてできかけの中間段階がどんな適応上の意味をもっていたかを説明するため現代の進化学者たちが提案した一般原理は「前適応」という概念である。つまり、中間型は完成した末裔と同じような役割をもっていたのではなく、一つの構造は、その形態をそれほど変えることなく、その機能を根本的に変化させることができる。そうして、次の2つの条件を満たすことができればよい。(1)近縁種で少なくともいくつかの要素を別な形で使っている中間型を発見すること。(2)最終的な機能と異なる機能を果たしていた中間段階での機能を明らかにすること。グールドは、淡水産二枚貝ランブシリスの数種に見られる擬態魚について、現状の完成型が、どう見ても小さな魚としか思えないような構造を外套膜の一部に発達させ、その突出部はリズミカルに波動しまるで小魚が泳いでいるように見せている例を引き合いにして議論している。この貝がそのような擬態を見せるのは、この貝の幼生は他の魚の口の中に入り込んで鰓の中で生育しなければならないからである。そこで魚を誘惑し近づいたときに育児嚢から幼生を放ち魚に呑み込まれる必要がある。さて、ランブシリスの親戚リグミア・ナスタが、第1条件を満たすことを見出した。この貝は外套膜の突出部をもっていないが、代わりに黒っぽい色をしたリボン状の膜をもっている。このリボン状の膜は少し開いた貝の口を両側からふさぐが中央部で離れているため貝の内部の白い部分がリボン状の膜の規則正しい波動によって白い点が動いているように見える。このようなやり方は1つの特殊化を示しており、いっそう手の込んだ魚に似た囮が発達する以前の段階にあると見られる。第2条件はランブシリス自身が満たしていた。体をひらひらさせることは魚の動きに似せるためではなく、育児嚢の中にいる幼生に酸素を送り込んだり幼生が放出されたあと水中に浮かばせておくようにするため進化したのではないかと考えられる。

ファーブルが引き合いに出している狩りバチの例について同様な議論が行いうると考えられますが、グールドが提示した2条件など、狩りバチの生態に詳しい方に構築をお願いしたいと思います。--tossh 2008年8月13日 (水) 15:34 (UTC)

さらに2ヶ月が経過しましたので、コメントアウトされていた当該記述を除去しました。尚、この除去はtossh氏の提案を妨げるものではないとご理解ください。--HANSON 2008年10月7日 (火) 17:58 (UTC)[返信]


置時計 (要出典範囲)[編集]

おぼろげな記憶なのですが、この置時計は民俗資料館になっている生家ではなく、セリニアンのファーブル記念館に置いてあるのではなかったでしょうか。ご存知の方がいらっしゃいましたら加筆頂きたく存じます。尚、当該記述の除去は考えておりません。--HANSON 2008年10月7日 (火) 17:58 (UTC)[返信]

関連図書に付随する記述[編集]

よく読むと、訳者の父に関する記述は記事違いのようです。平野氏の記事へ転記するか、除去を行うかのどちらかが適当ではないかと思いますがいかがでしょうか。--HANSON 2008年10月7日 (火) 17:58 (UTC)[返信]

「ジャン・アンリ・ファーブルの菌学の作品」についての疑念[編集]

少なくとも最初の2行は、『ジャン・アンリ・ファーブルのきのこ−−221点の水彩画と解説』(本郷次雄監訳、同朋舎出版、1993年)からの丸写しのようです(南方熊楠とアンリ・ファーブル―キノコ図譜を軸とした対比の試み―に引用あり)。ただし、この節には他にも、「私達は」など、wikipediaにいささかそぐわない言葉遣いもあり、どこまで新規に書き起こしているか不明な点も多く、現時点では削除・書き直しを行っていません。上記資料を実際に確認できる方がいらっしゃったらお願いしたいのですが。--Kaba-maru会話2021年4月17日 (土) 12:47 (UTC)[返信]