ハルモニームジーク

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ハルモニームジーク、あるいはハルモニードイツ語: Harmoniemusik, Harmonie)は、18世紀後半から19世紀前半にかけて流行した管楽合奏の形態。

"harmonie"という語は管楽器による合奏全般を指す言葉でもあり、オランダやベルギーなどでは吹奏楽が"harmonie","harmonieorkest"[1][2]と呼ばれているほか、フランス語軍楽隊を指す"harmonie militaire"、ドイツ語で木管五重奏を指す"Harmonie Quintett"などの用法がある。この項では、1780年代からドイツ語圏を中心とした貴族階級に流行した管楽合奏、特に"full harmonie"、"octet harmonie"と呼ばれる場合もある、オーボエ2、クラリネット2、ホルン2、ファゴット2による八重奏について述べる。

概要[編集]

ハルモニーが用いられた主な機会は食事や催事の際の伴奏音楽としてであり、ソリストが招かれたときに共演する場合もあった。レパートリーの中心となったのは当時人気のあったオペラからの編曲で、ヨーゼフ・トリーベンゼー英語版が編曲したヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトのオペラ群や、ヴェンツェル・セドラクドイツ語版編曲のルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの『フィデリオ』、カール・マリア・フォン・ウェーバーの『魔弾の射手』などが知られている。ヨーゼフ2世の楽団で2番オーボエ奏者だったヨハン・ヴェントオランダ語版は40ものオペラをハルモニームジーク用に編曲した。また、交響曲もしばしば編曲されており、ベートーヴェンの存命中にウィーンで出版された交響曲第7番は作曲者自身の編曲とも言われている。オリジナル作品としてはモーツァルトのセレナードK.375(第11番)、K.388 (384a)(第12番)やK.361 (K6.370a)(グラン・パルティータ、第10番)、ベートーヴェンの八重奏曲作品103英語版やロンディーノ WoO 25、フランツ・クロンマーの13曲の「パルティータ」などがある。

編成の基本となったのは上記の八重奏編成であったが、それ以外の楽器が用いられることも多く、コントラファゴット(上記のクロンマー作品)、コントラバスセルパンなどの低音楽器をはじめ、フルートアントニオ・ロセッティが使用)やバセットホルン金管楽器打楽器が追加される場合もあった。フェリックス・メンデルスゾーンの『吹奏楽のための序曲』(Ouvertüre für Harmoniemusik)の原曲『ノクトゥルノ』(Nocturno für Bläser)は、標準的なハルモニームジークの八重奏編成にフルート、トランペット、イングリッシュ・バスホルンが追加された11本の管楽器のために書かれている。

ロマン派以降も、ドヴォルザークの『セレナード 作品22』がチェロコントラバスを含む12人の奏者のために、グノーの『小交響曲』が八重奏編成にフルートを加えた九重奏のために、R・シュトラウス初期の『セレナード 作品7』や『組曲 作品4』が八重奏編成にフルート、ホルン各2本とコントラファゴットまたはテューバを加えた13管楽器のために、晩年の『管楽器のためのソナチネ』2曲がその13本にC管クラリネット、バセットホルン、バスクラリネットを加えた16管楽器のために書かれており、同種の管楽器2本をペアで含むハルモニームジークの伝統が受け継がれている[3]

歴史[編集]

同様の用途のために編成された、より小規模な管楽合奏は18世紀初頭からヨーロッパ全体に存在しており[4]、特にオーボエ2、ホルン2、ファゴット2という編成の六重奏は、この編成によってフランツ・ヨーゼフ・ハイドンニコラウス・ヨーゼフ・エステルハージのために「ディヴェルティメント」あるいは"Feldmusik"(野外音楽)と題された作品(Hob. II: 3, 7, 15, 23)を複数作曲している。モーツァルトも1775年から1777年にかけて、同じ編成でザルツブルク大司教のために6曲のディヴェルティメントを書いている。

1782年に、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世ウィーンにおいて、クラリネットを加えた上記の八重奏編成による"harmonie"を編成した。アントン・シュタードラーの兄弟が加わっていたこの楽団は高水準の演奏によって好評を博し、様々な貴族が追随して個人で楽団を編成した。代表的な人物としてケルン大司教選帝侯マクシミリアン・フランツラウドニッツ英語版ロプコヴィッツ侯爵などがいる。また、モラヴィアからの移民によってアメリカでもハルモニーは編成されている。

この時期、モーツァルトはオペラ『ドン・ジョヴァンニ』や『コジ・ファン・トゥッテ』の中でハルモニーを模した楽節を登場させており、当時の普及ぶりが伺われる。『ドン・ジョヴァンニ』では、『フィガロの結婚』のアリア「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」をはじめとする当時の流行曲が複数引用されている。

19世紀に入ると、ナポレオン戦争によって引き起こされた貴族の権勢の衰えに伴ってハルモニーも衰退していき、解体されあるいはより大きな編成の楽団へ組み込まれていった。1835年シュヴァルツブルク=ゾンダースハウゼン侯国のハルモニー(ヨハン・ジモン・ヘルムシュテットが楽長を務めていた)が管弦楽団に改組されたが、これはハルモニーに関する記録のなかでも最も新しい部類に属するものである。またこのような、ハルモニーを管楽器セクションとして含む管弦楽団の編成は、完全な二管編成による管弦楽団の普及に貢献したと考えられている。

脚注[編集]

  1. ^ Bezetting - Harmonie St. Michaël van Thorn. 2021年11月11日閲覧。
  2. ^ Samenstelling - Koninklijke Harmonie Sainte Cécile Eijsden. 2021年11月11日閲覧。
  3. ^ MENDELSSOHN 吹奏楽のための序曲&管楽器のためのノクトゥルノ(日本楽譜出版社)解説(堀内貴晃)
  4. ^ 各地の軍楽隊も似た編成を持つものがあったがより早く拡張が進み、18世紀中盤には八人編成や十人編成が珍しくなかった。1753年のロンドンでの版画にはオーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット2本ずつによる軍楽隊が描かれ、1763年にはフリードリヒ2世がプロイセンの軍楽隊の編成をこの八重奏に規定している。"Band (i)", The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 2 (Second ed.). Oxford University Press, 2001. p.624.

参考文献[編集]

  • Roger Hellyer. "Harmoniemusik", The New Grove Dictionary of Music and Musicians, 11 (Second ed.). Oxford University Press, 2001. pp. 856-858.
  • フレデリック・フェネル『タイム&ウィンズ―フレデリック・フェネルの吹奏楽小史』隈部まち子訳、秋山紀夫監修、佼成出版社、1985年