ピエール・ジュベール

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ピエール・ジュベール(仏: Pierre Joubert1910年6月27日-2002年1月13日)は、フランスイラストレーター。特にボーイスカウト関連の作品や挿絵の作者として知られている。

生涯[編集]

1910年パリ生まれ。14歳でパリの美術学校エコール・デュペレフランス語版に入学後、1925年にスカウト運動に参加した[1]シャマランド英語版でのキャンプ教室にてポール・コゼ英語版に見初められて雑誌「スカウト・ド・フランス」のイラストレーターに抜擢され、のちスカウト運動の公式イラストレーターとなった。その後、挿絵入り新聞「イリュストラシオン」に携わった。

彼の仕事はアルサティア出版社、とりわけ同社が発刊する児童向け冒険小説シリーズ「シーニュ・ド・ピストフランス語版」との関係が深い。冒険小説のイラストレーターとして、キップリングジャングル・ブック』やスティーブンソン宝島』などのフランス語版の挿絵も手掛けている。また、ベルギーの作家アンリ・ヴェルヌフランス語版の小説『ボブ・モラーヌフランス語版』の挿絵でもよく知られている[1]

彼は自伝紋章学などさまざまなテーマの本を書き、また多くの宗教的・歴史的人物やスカウトの人物画、本の表紙、カレンダーなどを描いた[2]。スカウト写真家のロベール・マンソンフランス語版とも交流が深く、ジュベールはマンソンが撮影したものを描き、マンソンはジュベールが描いたものを演出・撮影した。

彼はモーリス・ブランショやクロード・ロワ、フランソワ・ミッテランと同様、1930年代に青年右翼組織アクション・フランセーズやその行動団体カムロ・デュ・ロワ英語版に深く関与しており、そのことを公にしていた。しかし彼は左派キリスト教徒を自認しており、彼の描いた人物の中には、彼とはいくぶん立場を異にする者もいた[1][3][4]

熱烈な騎士道精神の持ち主であった彼は、思春期の子供たちの生き生きとした、冒険的で希望に満ちた特有の作風を持っている[5]

彼の作家業は足掛け77年にわたり、その間数千に及ぶ作品を手掛けた。結婚後、彼はパリ郊外のムードンの高台に移り住み、生涯シャラント地方とムードンを往来する生活をつづけた。

評価[編集]

エマニュエル・ルパージュなど、とりわけスカウトを経験した多くのバンド・デシネ作家(漫画家)やイラストレーターが彼を賞賛し、敬意を表している[1]。2002年にはラ・ロシェルで、また2010年にはヴェルサイユランビネ美術館で、ジュベールの回顧展が開かれている。2003年から2011年にかけて、ジャック・デュトレーは、ピエール・ジュベールの作品に特化した同人雑誌 Joubertomania を刊行した[6]

作品[編集]

  • Les Lys et les lions, initiation à l'art du blason, Presses d'Île de France, 1947, éditions Alain Gout, 2001
  • L'héraldique, éditions Ouest France, 1977, réed. 1984 et 1992
  • Souvenirs en vrac, éditions Universitaires, 1986, réédition Fleurus, 2000 (autobiographie)

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b c d Pietralunga 2015.
  2. ^ "L'oeuvre de Pierre Joubert". www.bdnancy.fr. 2019年6月29日閲覧.
  3. ^ Michel Bonvalet (2017). "Entretien avec Emmanuel Lepage". {{cite web}}: Cite webテンプレートでは|access-date=引数が必須です。 (説明).
  4. ^ Patrice Pellerin, in Figures de pirates, 16 février 2002. « http://www.crlv.org/swm/Page_Conference.php?P1=343 » (ArchiveWikiwixArchive.isGoogleQue faire ?)
  5. ^ Michel Tournier, Le Tabor et le Sinaï, p. 71-79.
  6. ^ « Joubertomania n°27 », sur le blog Les Échos de Nampilly, 25 septembre 2011.

出典[編集]

外部リンク[編集]