フィリップ・オブ・コニャック

ウィキペディアから無料の百科事典

フィリップ・オブ・コニャック
Philip of Cognac

出生 1180年
死去 1230年
配偶者 アメリ・ド・コニャック
家名 プランタジネット家
父親 イングランド王リチャード1世
テンプレートを表示

フィリップ・オブ・コニャック(英: Philip of Cognac、仏: Philippe de Cognac、1180年頃 ‐ 1230年頃)は、イングランド王リチャード1世の庶子。母親は不明[1]

概要[編集]

彼の人生についてはあまり多くのことは分かっていない。1180年頃に生まれ、1190年代末に成人を迎えたとされている。父リチャード1世は、彼をフランスのイティエ5世・ド・コニャックの娘で相続人のアメリ・ド・ジャルナックもしくはコニャック(仏: Amélie de Cognac / Amélie de Jarnac、英: Amelia of Cognac)と結婚させた。コニャック城を与えられたことからフィリップ・ド・コニャックと呼ばれるようになる。詳細な没年は不明。13世紀の早い時期に亡くなったとみられる。

脚注[編集]

  1. ^ アキテーヌ出身の女性であるといわれている。

参考文献[編集]

  • レジーヌ・ベルヌー 著、福本秀子 訳『リチャード獅子心王』白水社、2005年3月。ISBN 4-560-02605-X