フリードリヒ・クリスティアン・ディーツ

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ディーツ

フリードリヒ・クリスティアン・ディーツ(Friedrich Christian Diez、1794年3月15日 - 1876年5月29日)は、ドイツ文献学者。科学的な方法論によるロマンス語研究の創始者として知られる。

生涯[編集]

ディーツはギーセンで生まれた。1811年にギーセン大学に入った。1814年のフランス戦役に志願兵として参加した[1]。1818年にイェーナでディーツはゲーテに会い、プロヴァンス語抒情詩の研究を勧められたという[2]。しかし、実際にはそれ以前からロマンス語の研究を行っていた[1]。1821年にギーセン大学の博士の学位を得た[1]

ディーツはボン大学の講師として、イタリア語スペイン語ポルトガル語を教えていた。1824年にはパリを訪れて、中世のトルバドゥール関係の資料を収集した[1]

1825年にボン大学の員外教授、1830年には正教授に任命された。

ディーツは言語学・文献学・文学を含む包括的なロマンス学を創始した。ディーツはフランツ・ボップヤーコプ・グリム比較言語学の手法をロマンス語に応用し、その『ロマンス語文法』は従来のフランソワ・レヌアール英語版による文法書に取ってかわった[2]

ディーツはロマンス語を東西に大別し、東にイタリア語ルーマニア語、西に古プロヴァンス語古フランス語フランス語スペイン語ポルトガル語を所属させた[2]

ディーツのロマンス学はイタリアのグラツィアディーオ・アスコリ、フランスのガストン・パリスらに影響した[3]

1876年にボンで没した。

主な著書[編集]

初期にはトルバドゥールなどの中世ロマンス文学の研究を行った。

『ロマンス語文法』(全3巻)と『ロマンス語語源辞典』の2書においてディーツはロマンス語をはじめて比較言語学の方法で分析し、ロマンス語学の基礎を築いた。この2書はヤーコプ・グリムゲルマン語に関して『ドイツ語辞典』『ドイツ語文法』を著したのと同じ役割をロマンス語に対して果たした[1]。ただし、現在ではこの2書は歴史的価値しか持っていない[4]

ほかに古ロマンス語の文献の校注本を出版した。

没後に論文集が出版された。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e NDB
  2. ^ a b c Iordan, Orr, Posner (1970) p.9
  3. ^ Iordan, Orr, Posner (1970) pp.10-13
  4. ^ Iordan, Orr, Posner (1970) pp.9-10

参考文献[編集]