ブラスワフ県

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1793 - 1795年のリトアニア大公国領域と、ブラスワフ県の位置

ブラスワフ県 / ブレスラウヤ県[訳語疑問点]ポーランド語: Województwo brasławskie / リトアニア語: Breslaujos vaivadija)はリトアニア大公国の県である。

歴史[編集]

1793年、ブラスワフ郡等3郡を合併して形成された。県都は現ベラルーシブラスラウに置かれ、現リトアニアウクメルゲ、Anykščiai(lt)も同県に含まれた。下位区分のは設置されなかった。県知事にはミハウ・コッサコフスキ(ru)が任命された[1]

1794年5月11日、タデウシュ・コシチュシュコの蜂起(ru)の過程における、帝政ロシア軍とリトアニア反乱軍との戦闘がブラスワフで行われ、ブラスワフは炎上した。結果、県都はヴィゼ(現ベラルーシ・ヴィズィ(ru))に移された。

1795年、第3次ポーランド分割によって帝政ロシア領に組み込まれ、ブラスワフ県は消滅した。ロシアではヴィリナ県の一部となった。

脚注[編集]

注釈[編集]

関連地名対応表
ポーランド語 リトアニア語 ベラルーシ語 ロシア語
ブラスワフ ブレスラウヤ ブラスラウ
ヴィゼ Vidžiai ヴィズィ(ru)
ヴィリニュス ヴィリナ

出典[編集]

  1. ^ Józef Wolff, Senatorowie i dygnitarze Wielkiego Księstwa Litewskiego 1386-1795, Kraków 1885

参考文献[編集]

  • Беларусь: Энцыклапедычны даведнік / Рэдкал.: Б. І. Сачанка і інш — Мн.: БелЭн, 1995.