マトラ・MS11

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マトラ・MS11
カテゴリー F1
コンストラクター マトラ
デザイナー ジェラール・ドゥカルージュ
ベルナール・ボイヤー
先代 MS7
後継 MS80
主要諸元[1]
シャシー アルミニウムモノコック.
エンジン マトラ MS9 3,000 cc (183.1 cu in) V12 NA ミッドエンジン
トランスミッション ヒューランド DG300/FG 400 5速
重量 580 kg (1,278.7 lb)
燃料 エルフ
タイヤ ダンロップ
主要成績
チーム マトラ
ドライバー フランスの旗 アンリ・ペスカロロ
フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
初戦 1968年モナコグランプリ
出走優勝表彰台ポールFラップ
100101
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マトラ・MS11 (Matra MS11) は、マトラ1968年F1世界選手権に投入したフォーミュラ1カー

開発[編集]

MS11はF2マシンとして成功したMS7の発展型として開発された。マトラは2台目のF1カーとして12気筒エンジンを搭載したMS11を、ティレル用に製作されたマトラ・MS10と並行して開発した。MS11はワークスチームによって使用された。コスワース DFVを搭載し、ジャッキー・スチュワートがドライバーズランキングで2位になった姉妹車のMS10と比較すると、成功作とは言えなかった。

バンク角60度のV型12気筒エンジンは、ほぼ390PSを発揮したが、MS10に搭載されたコスワースのV型8気筒エンジンより出力で劣っていた。6本の排気管は盛大なノイズを生じ、MS11は当時のフォーミュラ1カーの中でも最も騒音の大きなマシンであった。エンジンには荷重支持部はなかったため、コックピット後方に補強材として統合された。これは、重量の増加を引き起こし、MS11はMS10よりもはるかに重いマシンであった。

レース戦績[編集]

MS11はジャン=ピエール・ベルトワーズが独占的に使用し、シーズン後半に製作された2台目をアンリ・ペスカロロがドライブした。デビュー戦はモナコグランプリで、ベルトワーズはアクシデントのため11周でリタイアした。ベルギーグランプリでは8位となった。オランダグランプリではスチュワートに次ぐ2位となり、ファステストラップも記録、マトラの1-2フィニッシュとなった。これがMS11の最高位となった。イタリアグランプリでは5位となっている。シーズン後半に2台目のMS11が完成し、アンリ・ペスカロロがドライブした。マトラのワークス活動は1年で終了し、1969年シーズンはコスワースDFVを搭載したMS80の開発に集中した。ティレルはMS80でドライバーおよびコンストラクターズタイトルを獲得することとなる。

F1における全成績[編集]

(key) (太字ポールポジション斜体ファステストラップ

チームs ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 ポイント 順位
1968年 マトラ RSA
南アフリカの旗
ESP
スペインの旗
MON
モナコの旗
BEL
ベルギーの旗
NED
オランダの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
ドイツの旗
ITA
イタリアの旗
CAN
カナダの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
MEX
メキシコの旗
8 9位1
アンリ・ペスカロロ Ret DNS 9
ジャン=ピエール・ベルトワーズ Ret 8 2 9 Ret Ret 5 Ret Ret Ret
Source:[2]

1 1968年のコンストラクターズランキングでマトラ・フォードは3位(45ポイント)、マトラワークスは9位(8ポイント)。

参照[編集]

  1. ^ マトラ・MS11”. StatsF1.com. 2015年1月27日閲覧。
  2. ^ Small, Steve (1994). The Guinness Complete Grand Prix Who's Who. Guinness. pp. 55 and 286. ISBN 0851127029 

外部リンク[編集]