マニュエル・オラツィ

ウィキペディアから無料の百科事典

マニュエル・オラツィ(Manuel Orazi、本名: Emmanuel Joseph Raphaël Orazi、1860年10月5日 - 1934年10月28日[1])はイタリア生まれで、主にフランスで活動したイラストレータである。アール・ヌーボーのスタイルのポスターや書籍の表紙絵、挿絵を描いた。

ジャン・ロランの"Ma petite ville"の挿絵 (1889)

略歴[編集]

ローマで生まれた。1883年から1884年の間、イタリアを代表するポスター画家が集まった、ミラノの出版会社リコルディの工房で働いた後、パリに移った。 パリでは多くの商業ポスターを製作し、宝飾店、「メゾン・ド・ラール・ヌーボー(Maison de l'Art Nouveau)」のためにポスターを描き、宝飾デザインした。コナン・ドイルの短編小説や、ボードレールの詩集、『惡の華』などの書籍の挿絵を描いた。

第一次世界大戦中はパリからモンジヴレに避難した。[2]

1921年のジャック・フェデー監督の映画『女郎蜘蛛』(L'atlantide)のポスターも製作した。この映画では衣装デザインなども依頼された[3]。その後も「Crainquebille 」(監督:フェデー、1922年)や「 Le Voile du bonheur 」(監督:Édouard-Émile Violet、1923年)などで映画の美術監督を務めた。

パリで死去した。

作品[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ Archives de Paris, acte de décès n°1312, vue 12 / 20
  2. ^ Évanghélia Stead (2011), op. cit.
  3. ^ Jacques Bouteron, « Le cinéma français au Sahara », L'Afrique du Nord illustrée, 3 juillet 1920, p. 4