マルコ・アントニオ・バレラ

ウィキペディアから無料の百科事典

マルコ・アントニオ・バレラ
基本情報
本名 マルコ・アントニオ・バレラ・タピア
通称 ベビーフェイスド・アサシン
階級 スーパーバンタム級 - スーパーフェザー級
身長 168cm
リーチ 178cm
国籍 メキシコの旗 メキシコ
誕生日 (1974-01-17) 1974年1月17日(50歳)
出身地 メキシコシティ
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 75
勝ち 67
KO勝ち 44
敗け 7
無効試合 1
テンプレートを表示

マルコ・アントニオ・バレラ・タビアMarco Antonio Barrera Tapia1974年1月17日 - )は、メキシコ出身の男性プロボクサー。世界3階級制覇王者(スーパーバンタム級フェザー級スーパーフェザー級)。「"Baby Face Assassin"(童顔の暗殺者)」の愛称を持つ。

チーフトレーナーを日本人トレーナーの田中繊大が務めたことがあった。

プロボクサー

[編集]

キャリア初期

[編集]

1989年11月22日、15歳という若さでプロデビュー。デビッド・フェリックスを2回TKOで仕留め白星でプロデビューを飾る。

1992年4月1日、ホセフィーノ・スアレスを12回判定勝ちで破り、メキシコのスーパーフライ級王座を獲得、同王座は5度防衛した。

1993年8月28日、エデュアルド・ラミレスとNABF北米スーパーフライ級王座決定戦を行い、12回判定勝ちで破り王座を獲得した。

1994年4月13日、川島郭志の持つWBC世界スーパーフライ級王座の挑戦権をかけて、カルロス・サラサールアルゼンチン)と挑戦者決定戦を行う。前日の軽量で体重超過で失格になるも試合は大差判定勝ち。この後スーパーバンタム級に転級。同年10月22日、ヘスス・サラビアとWBAペンタコンチネンタルスーパーバンタム級王座を争い、3回TKO勝ちで同王座を獲得した。同年12月3日、元WBA世界バンタム級王者のエディ・クックアメリカ)とWBAペンタコンチネンタルスーパーバンタム級王座の初防衛戦を行い、8回TKO勝ちで初防衛に成功した。

スーパーバンタム級

[編集]

1995年3月31日、35戦目にして世界初挑戦。ダニエル・ヒメネスプエルトリコ)が持つ、WBO世界スーパーバンタム級王座に挑戦し、12回判定で破り悲願の世界王者となった。同年6月2日、フランキー・トレド(アメリカ)と対戦し、2回TKO勝ちを収め初防衛に成功した。同年7月15日、USBA全米スーパーバンタム級王者のマウイ・ディアス(メキシコ)と対戦し、1回TKO勝ちで、2度目の防衛に成功した。同年8月22日、アガピト・サンチェスドミニカ)と対戦し、12回3-0(118-107、119-106、118-109 )の大差判定勝ちで3度目の防衛に成功した。同年11月4日、WBCアメリカ大陸スーパーバンタム級王者のエディ・クロフト(アメリカ)と対戦し、7回TKO勝ちを収め4度目の防衛に成功した。

1996年2月3日、元IBF世界スーパーバンタム級王者でソウル五輪バンタム級金メダリストのケネディ・マッキニー(アメリカ)と対戦し、12回TKO勝利を収め5度目の防衛に成功した。 同年5月4日、元WBO世界スーパーバンタム級王者のジェシー・ベナビデス(アメリカ)と対戦し、3回KOで勝利し6度目の防衛に成功した。 同年7月14日、元WBO世界スーパーバンタム級王者のオーランド・フェルナンデス(プエルトリコ)と対戦し、7回KOで勝利し7度目の防衛に成功した。同年9月14日、NABO北米スーパーバンタム級王者のジェシー・マガナ(アメリカ)と対戦し、10回TKO勝利で8度目の防衛に成功した。同年11月22日、元WBA世界バンタム級王者のジュニア・ジョーンズ(アメリカ)と対戦、5回にバレラがダウンした際にマネージャーがリングに昇ってきて試合を止めたため、WBOルールにより失格負けとなり初黒星を喫した。

1997年4月18日にジョーンズと再戦するも12回判定負けに終わる。初戦でバレラが大番狂わせで敗れたのはまぐれで、再戦ではバレラが勝利すると予想する人が多かったがあっけなくジョーンズに判定で敗れてしまった。

1998年10月31日、同級1位のリッチー・ウェントン(イギリス)とWBO世界スーパーバンタム級王座決定戦を戦い、3回TKOに下し再び王座返り咲きに成功した。

1999年4月3日、相手の敵地英国に乗り込み、ポール・ロイド(イギリス)と対戦。初回TKO勝ちで初防衛に成功した。同年8月7日、パストール・ウンベルト・マウリン(アルゼンチン)と対戦し、判定勝ちを収め2度目の防衛に成功した。

2000年2月19日、同じメキシコ出身で人気を二分する同世代のボクサー、WBC世界スーパーバンタム級王者のエリック・モラレスラスベガスで初めて対戦する。バレラは12回判定負けするも、この試合はリングマガジンの2000年度ファイト・オブ・ザ・イヤーに選ばれる。モラレスはしばらくWBO王者に認定されることになるが、WBOはこの試合でバレラが負けたとされるのは間違っているとして、ジャッジの公式判定を無視しバレラを再び王者に認定することになる。

フェザー級

[編集]

2001年4月7日、バレラは階級を上げて当時無敗街道を突き進んでいた人気ボクサー、ナジーム・ハメド(英国)と対戦し、12回判定勝ちで破る。バレラは質実剛健のボクシングを展開し、トリッキーで一発を狙うハメドを完全に抑え込み、本来ほとんどガードをしないハメドは、バレラの果敢な攻撃にたまらず2R以降ガードを上げて戦うという苦しい展開になった。同年9月8日、元WBA世界スーパーバンタム級王者のエンリケ・サンチェス(メキシコ)とノンタイトル12回戦で対戦し、6回TKO勝利を飾った。

2002年6月22日、エリック・モラレスとWBC世界フェザー級王座を賭け再戦し、12回判定勝ちでリベンジを果たし41戦全勝のモラレスに初黒星を付けた。バレラは勝っても王座を受け取らないと試合前から表明していたため、王座を受け取らなかった(形式としては、王座獲得後に即日返上ということになっている)。同時に、空位のリングマガジン認定世界フェザー級王座を獲得した。

同年11月2日、旧友でもある元2階級世界王者ジョニー・タピア(米国)と対戦し、12回判定勝ちを収めた。ほどなくして弁護士になるために通学していたロースクールを退学する。

2003年4月12日、元WBC世界フェザー級王者のケビン・ケリー英語版(米国)と、リングマガジン認定世界フェザー級王座を掛けて対戦し、4回TKO勝ちを収めた。

同年11月15日、マニー・パッキャオ(フィリピン)と対戦し、11回TKO負けを喫した。この前月、バレラが1997年のジュニア・ジョーンズ戦後にメキシコシティで脳の切開手術を受けていたことを暴露する記事を米国のウェブサイトが掲載[1][2]。バレラは1995年から頭痛がするようになり、1997年に海綿状血管腫の手術を受け、頭蓋骨の内側には金属プレートが固定されている。それ以来、各地で検査を受けたが異常がないまま16試合を戦い、このパッキャオ戦でもテキサス州の検査を受け、試合出場を認められていた。しかし、マスメディアはバレラが手術を受けた事実をこれまで周囲の関係者に隠していたことを問題視し、スキャンダラスに報じた。バレラは試合まで数日という頃、『USAトゥデイ』の取材に対し、「こういうことが公になったからには、もう誰も私を "Baby Face Assassin"(童顔の暗殺者)と呼ばないかもしれない。たぶん『信じられない男』とか何かそんなふうに呼ぶだろう」と語っている[3][2]

2004年6月19日、元WBA世界バンタム級王者ポーリー・アヤラ(米国)と対戦し、10回TKO勝ちを収めた。

スーパーフェザー級

[編集]

2004年11月27日、エリック・モラレスとのラバーマッチで2-0の判定勝ちを収め、WBC世界スーパーフェザー級王座を獲得して3階級制覇王者となった。モラレスとの3試合は全て激闘の接戦だったが、この試合で2勝1敗と勝ち越し同世代のライバル対決に終止符を打った。

2005年4月9日、同級2位のムゾンケ・ファナ(南アフリカ)と対戦し、2回KO勝ち。同年9月17日、ロビー・ピーデン(オーストラリア)を12回判定勝ちで破りIBF世界スーパーフェザー級王座を獲得し、2団体統一王者になりWBC王座の2度目の防衛にも成功。

2006年5月20日、ロッキー・ファレス(米国)と対戦し、12回2-1の僅差判定勝ちで王座防衛に成功した。同年9月16日に、ロッキー・ファレスとダイレクトリマッチで再戦し、アウトボクシングを展開して今度は12回3-0の明白な判定勝利で4度目の王座防衛に成功した。

2007年3月17日、ファン・マヌエル・マルケス(メキシコ)と対戦し、12回0-3の判定で敗北し王座から陥落した。同年5月11日に発表されたESPNが選ぶ史上最高のボクサートップ50では第43位にランクされた。同年10月6日、マニー・パッキャオ(フィリピン)との再戦で12回0-3の大差の判定で完敗を喫しマルケス戦の敗戦に続いて2連敗となり試合後に引退を表明した。

現役復帰

[編集]

2008年7月、現役復帰とメキシコ人初の4階級制覇を視野に入れて、5年間に渡ってプロモート契約を結び副社長の座にまで就いていたゴールデンボーイ・プロモーションズとの契約を解消し、新たにドン・キングと5年間のプロモート契約を結んだ。同年11月7日、中国成都市の四川省体育館でサミー・ベンチュラを相手にライト級10回戦で現役復帰戦を行い、4回KO勝ちを収め復帰初戦を白星で飾った。

2009年1月31日、サポパンのアウディトリオ・テルメックス・デ・UGでフレウディス・ロハスと対戦し、3回にロハスの頭が当たり左目の上に大怪我を負ったが、ロハスが故意に頭からぶつかりバレラに怪我を負わせたものであると判断からロハスの反則負けが宣告されたため、バレラの勝利となった[4] 。同年3月14日、イギリス・ランカシャーマンチェスターマンチェスター・アリーナにてアミール・カーンとWBAインターナショナルライト級タイトルマッチおよびWBOインターコンチネンタルライト級王座決定戦で対戦。1回に偶然のバッティングでカットするなどして、5回2分36秒負傷判定負けを喫した。カーン戦を最後に一度はグローブを脱いだが4階級制覇を目指すためにドン・キング・プロダクションからトップランク社に移籍した[5]

2010年6月26日、トップランクへ移籍しての初戦、アメリカ・テキサス州サンアントニオアラモドームでアダイルトン・デ・ヘススと対戦し3-0の判定勝ちで再起に成功した[6]

2011年2月12日、ハリスコ州グアダラハラのコリセオ・オリンピコ・デ・ラ・UGでホセ・アリアスと対戦し、2回2分29秒TKO勝ちを収めた。この試合が現役最後の試合となった。

2013年6月、自身を育てた名トレーナーのルディ・ペレスが死亡し[7]、葬儀では兄のホルヘや田中繊大らと別れを惜しんだ[8]

2021年6月11日、復帰してカリフォルニア州ピコリビエラでヘスス・ソト・カラスとエキシビションで対戦。2022年11月12日にはイギリスマンチェスター・アリーナリッキー・ハットンとエキシビションで対戦した。

戦績

[編集]
  • プロボクシング:75戦67勝(44KO)7敗1無効試合
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 1989年11月22日 勝利 2R TKO デビッド・フェリックス メキシコの旗 メキシコ デビュー戦
2 1989年12月16日 勝利 3R TKO フェデリコ・ララ メキシコの旗 メキシコ
3 1990年5月18日 勝利 4R 判定 イグナシオ・ハコメ メキシコの旗 メキシコ
4 1990年6月9日 勝利 4R 判定 オスカー・グラナドス メキシコの旗 メキシコ
5 1990年8月4日 勝利 3R KO フェデリコ・ララ メキシコの旗 メキシコ
6 1990年9月14日 勝利 5R TKO セバスチャン・アミカ メキシコの旗 メキシコ
7 1990年10月6日 勝利 2R TKO ペドロ・マルチネス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
8 1990年10月13日 勝利 2R TKO ホセ・ヤネズ メキシコの旗 メキシコ
9 1990年12月8日 勝利 8R 判定 イバン・サラザール メキシコの旗 メキシコ
10 1991年2月9日 勝利 4R TKO エステバン・ロドリゲス メキシコの旗 メキシコ
11 1991年3月9日 勝利 5R TKO アベル・イノホサ メキシコの旗 メキシコ
12 1991年4月13日 勝利 1R TKO ファン・ファクンド・ロペス メキシコの旗 メキシコ
13 1991年6月29日 勝利 6R TKO ハイメ・ロハス メキシコの旗 メキシコ
14 1991年8月31日 勝利 1R TKO セルヒオ・アギラ メキシコの旗 メキシコ
15 1991年11月2日 勝利 7R 失格 ハビエル・ディアス メキシコの旗 メキシコ
16 1991年12月7日 勝利 1R KO ミゲール・ピニャ メキシコの旗 メキシコ
17 1992年4月1日 勝利 12R 判定 ホセフィノ・スアレス メキシコの旗 メキシコ メキシコスーパーフライ級王座決定戦
18 1992年6月13日 勝利 2R TKO ホセ・モンティエル メキシコの旗 メキシコ 同王座防衛1
19 1992年7月11日 勝利 6R KO ミゲル・エスピノサ メキシコの旗 メキシコ 同王座防衛2
20 1992年10月2日 勝利 10R 判定 アブネル・バラハス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
21 1992年11月9日 勝利 4R KO エステバン・アヤラ メキシコの旗 メキシコ 同王座防衛3
22 1992年12月5日 勝利 6R TKO アンヘル・ロサリオ プエルトリコの旗 プエルトリコ
23 1993年3月1日 勝利 10R 判定 イバン・サラサール メキシコの旗 メキシコ
24 1993年4月10日 勝利 4R KO ファクンド・ロドリゲス メキシコの旗 メキシコ 同王座防衛4
25 1993年5月22日 勝利 12R 判定 ノエ・サンティリャーナ メキシコの旗 メキシコ 同王座防衛5
26 1993年7月12日 勝利 1R KO エリディオ・ドミンゲス メキシコの旗 メキシコ
27 1993年8月28日 勝利 12R 判定 エデュアルド・ラミレス メキシコの旗 メキシコ NABFスーパーフライ級王座決定戦
28 1993年11月27日 勝利 1R KO アレハンドロ・サナブリア メキシコの旗 メキシコ
29 1994年3月1日 勝利 3R KO フスト・スニガ メキシコの旗 メキシコ
30 1994年4月13日 勝利 10R 判定 カルロス・サラサール アルゼンチンの旗 アルゼンチン WBC世界スーパーフライ級挑戦者決定戦
31 1994年6月24日 勝利 6R KO ミゲール・エスピノサ メキシコの旗 メキシコ
32 1994年8月15日 勝利 8R KO イスラエル・ゴンザレス メキシコの旗 メキシコ
33 1994年10月22日 勝利 3R TKO ヘスス・サラビア メキシコの旗 メキシコ WBAペンタコンチネンタルスーパーバンタム級王座決定戦
34 1994年12月3日 勝利 8R TKO エディ・クック メキシコの旗 メキシコ ペンタコンチネンタル王座防衛1
35 1995年3月31日 勝利 12R 判定 ダニエル・ヒメネス プエルトリコの旗 プエルトリコ WBO世界スーパーバンタム級タイトルマッチ/王座獲得
36 1995年6月2日 勝利 2R TKO フランキー・トレド アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBO王座防衛1
37 1995年7月15日 勝利 1R TKO マウイ・ディアス メキシコの旗 メキシコ WBO王座防衛2
38 1995年8月22日 勝利 12R 判定 アガピト・サンチェス ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国 WBO王座防衛3
39 1995年11月4日 勝利 7R KO エディ・クロフト アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBO王座防衛4
40 1996年2月3日 勝利 12R TKO ケネディ・マッキニー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBO王座防衛5
41 1996年5月4日 勝利 3R KO ジェシー・ベナビデス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBO王座防衛6
42 1996年7月14日 勝利 7R TKO オーランド・フェルナンデス プエルトリコの旗 プエルトリコ WBO王座防衛7
43 1996年9月14日 勝利 10R TKO ジェシー・マガナ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBO王座防衛8
44 1996年11月22日 敗北 5R TKO ジュニア・ジョーンズ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBO王座陥落
45 1997年4月18日 敗北 12R 判定 ジュニア・ジョーンズ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBO世界スーパーバンタム級タイトルマッチ
46 1998年2月21日 勝利 5R TKO アンヘル・ロサリオ プエルトリコの旗 プエルトリコ
47 1998年5月16日 勝利 1R KO ヘロニモ・カルドス メキシコの旗 メキシコ
48 1998年9月26日 勝利 4R TKO ペドロ・ハビエル・トーレス アルゼンチンの旗 アルゼンチン
49 1998年10月31日 勝利 3R TKO リッチー・ウェントン イギリスの旗 イギリス WBO世界スーパーバンタム級王座決定戦/王座獲得
50 1999年4月3日 勝利 1R TKO ポール・ロイド イギリスの旗 イギリス WBO王座防衛1
51 1999年8月7日 勝利 12R 判定 パストール・ウンベルト・マウリン アルゼンチンの旗 アルゼンチン WBO王座防衛2
52 1999年12月18日 引分 4R NC セサール・ナヘラ メキシコの旗 メキシコ
53 2000年2月19日 敗北 12R 判定 エリック・モラレス メキシコの旗 メキシコ WBC・WBO世界スーパーバンタム級統一戦/WBO陥落→再認定
54 2000年6月17日 勝利 1R KO ルイス・クラウディオ・フレイタス ブラジルの旗 ブラジル WBO王座防衛1
55 2000年9月9日 勝利 12R 判定 ホセ・ルイス・バルブエラ ベネズエラの旗 ベネズエラ WBO王座防衛2
56 2000年12月1日 勝利 6R TKO ヘスス・サルード フィリピンの旗 フィリピン WBO王座防衛3
57 2001年4月7日 勝利 12R 判定 ナジーム・ハメド イギリスの旗 イギリス IBO世界フェザー級王座決定戦
58 2001年9月8日 勝利 6R TKO エンリケ・サンチェス メキシコの旗 メキシコ
59 2002年6月22日 勝利 12R 判定 エリック・モラレス メキシコの旗 メキシコ WBC世界フェザー級タイトルマッチ/獲得後即返上
リングマガジン認定・世界フェザー級王座決定戦/王座獲得
60 2002年11月2日 勝利 12R 判定 ジョニー・タピア アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 リングマガジン認定王座防衛
61 2003年4月12日 勝利 4R TKO ケビン・ケリー英語版 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 リングマガジン認定王座防衛
62 2003年11月15日 敗北 11R TKO マニー・パッキャオ フィリピンの旗 フィリピン リングマガジン認定王座陥落
63 2004年6月19日 勝利 10R TKO ポーリー・アヤラ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
64 2004年11月27日 勝利 12R 判定 エリック・モラレス メキシコの旗 メキシコ WBC世界スーパーフェザー級タイトルマッチ/王座獲得
65 2005年4月9日 勝利 2R KO ムゾンケ・ファナ 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国 WBC王座防衛1
66 2005年9月17日 勝利 12R 判定 ロビー・ピーデン オーストラリアの旗 オーストラリア WBC・IBF世界スーパーフェザー級統一戦/IBF王座獲得・WBC王座防衛2
67 2006年5月20日 勝利 12R 判定 リカルド・フアレス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBC王座防衛3
68 2006年9月15日 勝利 12R 判定 リカルド・フアレス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 WBC王座防衛4
69 2007年3月17日 敗北 12R 判定 ファン・マヌエル・マルケス メキシコの旗 メキシコ WBC王座陥落
70 2007年10月6日 敗北 12R 判定 マニー・パッキャオ フィリピンの旗 フィリピン WBCインターナショナルスーパーフェザー級タイトルマッチ
71 2008年11月7日 勝利 4R TKO サミー・ ベンチュラ メキシコの旗 メキシコ
72 2009年1月31日 勝利 3R 反則 フレウディス・ロハス  キューバ
73 2009年3月14日 敗北 5R 負傷判定 アミール・カーン イギリスの旗 イギリス WBAインターナショナルライト級タイトルマッチ/WBOインターコンチネンタルライト級王座決定戦
74 2010年6月26日 勝利 10R 判定 アダイルトン・デ・ヘスス ブラジルの旗 ブラジル
75 2011年2月12日 勝利 2R TKO ホセ・アリアス ドミニカ共和国の旗 ドミニカ共和国
テンプレート

ボクシングエキシビション

[編集]
日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
3 2022年11月12日 - 8R - リッキー・ハットン イギリスの旗 イギリス
2 2021年11月20日 - 6R - ダニエル・ポンセ・デ・レオン メキシコの旗 メキシコ
1 2021年6月11日 - 6R - ヘスス・ソト・カラス メキシコの旗 メキシコ

獲得タイトル

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ Thomas Hauser Shame On Boxing SecondsOut.com(英語)2003年10月23日頃
  2. ^ a b 三浦勝夫 バレラ敗北の原因と舞台裏 boxing.jp 2003年
  3. ^ Tim Dahlberg Barrera battles back from brain surgery in ring USAトゥデイ(英語)2003年11月11日
  4. ^ Barrera wins, suffers cut! BOXNEWS.com.ua(英語)2009年2月1日
  5. ^ バレラが復帰宣言 トップランクと契約 ボクシングニュース「Box-on!」2010年5月20日
  6. ^ チャベスJr、バレラ大差判定勝ち ボクシングニュース「Box-on!」2010年6月28日
  7. ^ 名トレーナー、ルディ・ペレス逝く ボクシングニュース「Box-on!」2013年6月14日
  8. ^ ペレス・トレーナーの葬儀にバレラ、田中氏らが参列 ボクシングニュース「Box-on!」2013年6月17日

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]
前王者
ダニエル・ヒメネス
WBO世界スーパーバンタム級王者

1995年3月31日 - 1996年11月22日

次王者
ジュニア・ジョーンズ
前王者
リッチー・ウェントン
WBO世界スーパーバンタム級王者

1998年10月31日 - 2000年(返上)

空位
次タイトル獲得者
アガピト・サンチェス
前王者
エリック・モラレス
WBC世界フェザー級王者

2002年6月22日 - 2002年6月22日(返上)

空位
次タイトル獲得者
エリック・モラレス
前王者
エリック・モラレス
WBC世界スーパーフェザー級王者

2004年11月27日 - 2007年3月17日

次王者
ファン・マヌエル・マルケス
前王者
ロビー・ピーデン
IBF世界スーパーフェザー級王者

2005年9月17日 - 2006年5月(返上)

空位
次タイトル獲得者
カシウス・バロイ