メジロイーグル

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メジロイーグル
欧字表記 Mejiro Eagle[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1975年5月2日[1]
死没 1995年12月4日(21歳没・旧表記)[2][3]
メジロサンマン[1]
アマゾンウォリアー[1]
母の父 Khaled[1]
生国 日本の旗 日本 北海道伊達市[1]
生産者 メジロ牧場[1]
馬主 (株)メジロ商事[1]
調教師 伊藤修司栗東[1]
競走成績
生涯成績 19戦7勝[1]
獲得賞金 1億1714万7000円[1]
勝ち鞍 京都新聞杯1978年[1]
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メジロイーグル(欧字名:Mejiro Eagle1975年5月2日 - 1995年12月4日)は、日本競走馬種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1978年京都新聞杯

競走馬時代[編集]

1975年5月2日に北海道伊達市メジロ牧場で誕生。父は目黒記念に勝利をしたメジロサンマン、母はメジロ牧場の基幹繁殖牝馬であるアマゾンウォリアーで、この系統からはメジロヒリュウ、日本初の三冠牝馬メジロラモーヌが生まれている。

現役時から非常に小柄な競走馬であり、410キロそこそこ、時には400キロを切ることもあった。戦法は逃げであり、そのため「小さな逃亡者」と呼ばれた。

勝利をした重賞は京都新聞杯のみではあるが、東京優駿5着、菊花賞有馬記念3着、宝塚記念4着と八大競走を含むGI級レースにおいても好走を見せる。5歳時のオープン戦ではグリーングラスを相手に5馬身差圧勝を遂げるなど、実力も兼ね備えた個性派として人気を博した。

競走成績[編集]

年月日 競馬場 レース名 頭数 人気 着順 距離(状態 タイム 騎手 斤量 勝ち馬/(2着馬)
1977 8. 27 函館 3歳未勝利 6 2 1 芝1000(稍) 00:59.40 伊藤清章 52 (ハシエイブル)
9. 17 阪神 野路菊賞 8 2 4 芝1200(良) 01:11.40 伊藤清章 52 インターグシケン
10. 09 京都 りんどう特別 9 1 1 芝1400(重) 01:24.20 伊藤清章 52 (ハンキチカラ)
10. 30 京都 紅葉杯 6 3 3 芝1600(良) 01:36.40 伊藤清章 53 インターグシケン
1978 3. 18 阪神 チューリップ賞 12 5 1 芝2000(良) 02:02.70 伊藤清章 54 (イセテンリュウ)
4. 16 中山 皐月賞 14 6 4 芝2000(良) 02:04.70 伊藤清章 57 ファンタスト
5. 07 東京 NHK杯 13 4 4 芝2000(不) 02:02.50 伊藤清章 56 インターグシケン
5. 28 東京 東京優駿 21 7 5 芝2400(良) 02:28.20 加賀武見 57 サクラショウリ
6. 18 函館 青函S 10 1 1 芝1800(重) 01:50.80 伊藤清章 54 (サカウエー)
7. 9 函館 函館記念 7 2 6 芝2000(良) 02:03.90 加賀武見 55 バンブトンコート
10. 7 京都 4歳以上 11 2 1 芝1600(良) 01:35.30 河内洋 54 (インターグシケン)
10. 22 京都 京都新聞杯 16 6 1 芝2000(良) 02:01.60 河内洋 57 (サクラショウリ)
11. 12 京都 菊花賞 20 4 3 芝3000(良) 03:06.30 河内洋 57 インターグシケン
12. 17 中山 有馬記念 15 8 3 芝2500(良) 02:33.60 河内洋 54 カネミノブ
1978 10. 14 中京 京都大賞典 8 1 8 芝2400(良) 02:28.20 河内洋 56 テンメイ
11. 10 東京 4歳以上 5 2 1 芝1800(稍) 01:48.00 河内洋 56 (グリーングラス)
1979 11. 25 東京 天皇賞 13 2 12 芝3200(不) 03:37.40 河内洋 58 スリージャイアンツ
1980 6. 01 中京 宝塚記念 15 3 4 芝2400(不) 02:32.20 伊藤清章 56 テルテンリュウ
1981 7. 12 札幌 タイムス杯 8 1 8 ダ1800(良) 01:59.80 伊藤清章 56 イエンライト

種牡馬時代[編集]

引退後は種牡馬となるが、重賞勝ちが1つしかないという事もあり種付けは少なく、その中の数少ない産駒はほぼメジロ牧場の自家生産馬であった[4]。さらに、1988年2月に行われた健康診断において、メジロイーグルは蹄葉炎の診断を受けてしまう[4]。そこで、診察を担当した獣医の田中秀俊はアメリカで行われていたという「患部の保温」と「特殊な装蹄」による治療を決断[5]。この治療法を8年間継続し、メジロイーグルの症状は無事に緩和していった[5]。さらに、数少ない産駒の1頭であったメジロパーマー宝塚記念有馬記念で逃げ切り勝ちを収めグランプリ2連覇を達成。同年のJRA賞最優秀5歳以上牡馬および最優秀父内国産馬に選出された。このことにより、1992年には0頭にまで落ち込んだ種付け数は翌年に18頭にまで回復した。なお、メジロイーグル自身はこの年をもって種牡馬から引退した[6][注 1]

1995年8月14日、腹部に異常が現れ、診察の結果結腸便秘であることが判明する[7]。この時は3日で回復したものの、同年12月3日に再び症状が悪化[7]。高齢ということもあり回復は難しいと判断され、翌日の午後2時に田中によって安楽死させられ、死亡した[3][7]。21歳没。遺体はメジロ牧場に埋葬された。また、その翌年の1月、牧場で長年メジロイーグルの厩務員を務めた坂本陽一も、後を追うようにこの世を去った[7]

血統表[編集]

メジロイーグル血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 プリンスシュヴァリエ系
[§ 2]

メジロサンマン
1963 鹿毛
父の父
Charlottesville
1957 鹿毛
Prince Chevalier Prince Rose
Chevalerie
Noorani Nearco
Empire Glory
父の母
*パラデイシア
1957 鹿毛
Aureole Hyperion
Angelola
Chenille King Salmon
Sweet Aloe

*アマゾンウォリアー
1960 鹿毛
Khaled
1943 黒鹿毛
Hyperion Gainsborough
Selene
Eclair Ethnarch
Black Ray
母の母
War Betsy
1948 栗毛
War Relic Man O' War
Friar's Carse
Betsy Ross Mahmoud
Celerina
母系(F-No.) アマゾンウォリアー系(FN:9-f)
5代内の近親交配 Hyperion: 3x4
出典
  1. ^ [8]
  2. ^ [9]


脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 種牡馬登録そのものは、死亡するまで継続されていた。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p メジロイーグル”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年11月8日閲覧。
  2. ^ メジロイーグル(JPN) - 血統書サービス、2022年11月8日閲覧。
  3. ^ a b サラブレッド101頭の死に方2 P152
  4. ^ a b サラブレッド101頭の死に方2 P157
  5. ^ a b サラブレッド101頭の死に方2 P159
  6. ^ サラブレッド101頭の死に方2 P160
  7. ^ a b c d サラブレッド101頭の死に方2 P161
  8. ^ 5代血統表”. netkeiba.com. 2023年8月22日閲覧。
  9. ^ 5代血統表”. JBISサーチ. 2023年8月22日閲覧。

参考文献[編集]

外部リンク[編集]