リュック・アルファン

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リュック・アルファン
名前
ラテン文字 Luc Alphand
基本情報
国籍 フランス
種目 アルペンスキー
生年月日 (1965-08-06) 1965年8月6日(58歳)
生誕地 フランスの旗 フランスブリアンソン
身長 180cm
体重 75kg
ワールドカップ戦歴
デビュー年 1984
引退年 1997
総合優勝 1997
通算成績 W杯12勝、表彰台回数通算23回、シーズン種目別優勝4回(滑降-1995年、1996年、1997年。スーパー大回転-1997年)
獲得メダル
男子アルペンスキー
アルペンスキー世界選手権
1996 滑降
リュック・アルファン

リュック・アルファン(Luc Alphand、1965年8月6日 - )はフランスの元スキー選手で現在はレーシングドライバー冬季オリンピックには1988年、1992年、1994年の3度出場した。

経歴[編集]

1984年アルペンスキー・ワールドカップにデビュー。ダウンヒル(滑降)などの高速系種目で活躍し、1995年から1997年にかけてFISワールドカップ・ダウンヒルの種目別チャンピオンを3年連続で獲得、1997年にはFISワールドカップ・アルペン競技の総合チャンピオン、スーパー大回転の種目別チャンピオンも獲得し、この年3冠を達成した。

しかしスキーで絶頂期にあったこの年を最後にアルファンはスキー選手を引退しレーシングドライバーに転向した。翌1998年から主にダカール・ラリー(通称パリ・ダカール)への参戦を中心にレース活動を行う。1999年に三菱・パジェロをドライブしT1マラソンクラスで優勝[1]。その後シュレッサーX-raidといった有力チームでドライブした。

2005年には三菱自動車ワークス・チームに加入してパリ・ダカールで総合2位に食い込み、三菱での活動2年目となる2006年にはついに総合優勝を果たした。その後も2009年まで三菱でダカールに参戦した。

またFIA-GT選手権ル・マン24時間等で自身のチーム「リュック・アルファン・アヴェンチュール」を率いてサーキットでも活動。ル・マンでは2001年から2009年まで出場し、2006年の総合7位・GT1クラス3位が最高位である。

2009年6月にATVのレースで腰に重症を負い、これが原因でモータースポーツから引退した[2]

長女と次女もスキー選手で、長女のエステル2018年スウェーデンに移籍し、2018年平昌オリンピックに出場した。

シルクウェイ・ラリーのレースディレクターを務めたブラト・ヤンボリソフは2014年にパリへ出向し、アルファンと親交を深めて西側諸国とのパイプを作っていた。ウクライナ侵攻後にヤンボリソフがGRU(ロシア連邦軍参謀本部情報総局)と連携した動きをしていたことが明らかになったため、アルファンも疑われる立場となり、「スポーツについての関わりしか無く、明るみに出た彼の背景に驚いている」とコメントしている[3]

レース成績[編集]

ル・マン24時間レース[編集]

チーム コ・ドライバー 使用車両 クラス 周回数 総合順位 クラス順位
2001年 フランスの旗 ウォームアップ リュック・アルファン アドベンチャーズ
フランスの旗 JMB レーシング
フランスの旗 ミシェル・リゴネ
フランスの旗 ルイス・マルケス
ポルシェ・911 GT3-RS GT 265 17位 8位
2002年 フランスの旗 リュック・アルファン アドベンチャーズ フランスの旗 クリスチャン・ラヴィエイユ
フランスの旗 オリビエ・テブナン
GT 299 24位 5位
2003年 フランスの旗 ジェローム・ポリカン
フランスの旗 フレデリック・ドール
フェラーリ・550-GTS マラネロ GTS 298 21位 5位
2004年 フランスの旗 クリスチャン・ラヴィエイユ
フランスの旗 フィリップ・アルメラ
ポルシェ・911 GT3-RS GT 316 16位 5位
2005年 フランスの旗 ジェローム・ポリカン
フランスの旗 クリストファー・キャンベル
GT2 311 18位 5位
2006年 フランスの旗 パトリス・ゲースラール
フランスの旗 ジェローム・ポリカン
シボレー・コルベット C5-R GT1 346 7位 3位
2007年 フランスの旗 パトリス・ゲースラール
フランスの旗 ジェローム・ポリカン
シボレー・コルベット C6.R GT1 327 12位 7位
2008年 フランスの旗 ギョーム・モロー
フランスの旗 ジェローム・ポリカン
GT1 327 12位 7位
2009年 フランスの旗 ステファン・グレゴワール
フランスの旗 パトリス・ゲースラール
GT1 99 DNF DNF

脚注[編集]

外部リンク[編集]