ロイストン・ドレンテ
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エルクレスCFでのドレンテ(2011年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 | ロイストン・リッキー・ドレンテ Royston Ricky Drenthe | |||||
ラテン文字 | Royston DRENTHE | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | オランダ スリナム | |||||
生年月日 | 1987年4月8日(37歳) | |||||
出身地 | ロッテルダム | |||||
身長 | 167cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF / DF / FW (LMF, LSB, LWG) | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1992-2000 | ネプトゥヌス | |||||
2000-2003 | フェイエノールト | |||||
2003-2005 | エクセルシオール | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2005-2007 | フェイエノールト | 29 | (0) | |||
2007-2012 | レアル・マドリード | 46 | (2) | |||
2010-2011 | → エルクレス (loan) | 17 | (4) | |||
2011-2012 | → エヴァートン (loan) | 21 | (3) | |||
2013 | アラニア | 6 | (3) | |||
2013-2015 | レディング | 23 | (2) | |||
2014-2015 | → シェフィールド・W (loan) | 15 | (1) | |||
2015 | エルジイェススポル | 11 | (3) | |||
2015-2016 | バニーヤース | 18 | (0) | |||
2018-2019 | スパルタ・ロッテルダム | 32 | (5) | |||
2019-2021 | コザッケン・ボーイズ | 11 | (3) | |||
2021-2022 | ラシン・ムルシア | 28 | (9) | |||
2022 | → レアル・ムルシア (loan) | 9 | (0) | |||
2022 | ラシン・メリダ・シティ | 15 | (3) | |||
2023 | コザッケン・ボーイズ | 5 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
2005 | オランダ U-18 | 1 | (0) | |||
2005-2006 | オランダ U-19 | 6 | (0) | |||
2006-2008 | オランダ U-21 | 17 | (4) | |||
2008 | オランダ B | 1 | (0) | |||
2010 | オランダ | 1 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ロイストン・リッキー・ドレンテ(Royston Ricky Drenthe, 1987年4月8日 - )は、オランダ・ロッテルダム出身の元サッカー選手。元オランダ代表。現役時代のポジションは主にミッドフィールダー。
経歴
[編集]ロッテルダム出身。フェイエノールトのD2チームに入団し、頭角を現す。当初は左サイドバックを務めていたが、他の選手もいたため、左ウイングで起用されることとなる。ある時チーム遠征でスイスに滞在した際に不祥事を起こし、一時はチームから放出させられそうになったが、テクニカルディレクターの進言によってかろうじて謹慎処分にとどまることとなる。
その後フェイエノールト傘下のエクセルシオールに所属先を移し、再び左サイドバックで起用されることとなり、そこでの活躍が認められてフェイエノールトに晴れて復帰を果たし、トップチームで起用されることとなり、その後チームではコンスタントに起用されるようになっている。2007年に開催されたUEFA U-21欧州選手権で最優秀選手賞に輝く活躍を見せてレアル・マドリードが手を伸ばしたが、移籍金の問題で移籍は難しいものとなった。しかし、ドレンテ自らが移籍を希望し、フェイエノールトも手放すこととなった。
2007年8月、移籍金1300万ユーロでレアル・マドリードに正式加入。加入当初はマルセロ、ミゲル・トーレス、ガブリエル・エインセなど左サイドバックをこなせる選手が全員プレー出来ない状態であった為、左サイドバックでデビューした。しかし守備力が疑問視された為、以後は左サイドハーフ、左ウイングに固定された。移籍直後にマドリード市内で警察車両と衝突する交通事故を起こしている。
2008年8月には、北京オリンピックに参加。1勝2分でグループリーグを突破するも準々決勝でアルゼンチン代表に敗れた。
以後もクラブでは守備力の問題等を解決できず、チーム内での序列はマルセロより下で控えに甘んじ、2010年7月末にリヴァプールFCへの移籍願望を口にしたが公式決定には至らず、翌8月にエルクレスCFにレンタル移籍した[1]。翌シーズンにはエヴァートンFCへレンタル移籍。2012年夏にレアル・マドリードとの契約が満了となった。
半年間の無所属状態を経て、2013年2月、ロシアのFCアラニア・ウラジカフカスへ移籍。2013年6月にレディングFCに移籍した[2]。
2014年9月1日、シェフィールド・ウェンズデイFCにレンタル移籍した[3]。
2015年1月23日、スュペル・リグのカイセリ・エルジイェススポルに移籍したが[4]、シーズン終了後に退団。
2015年9月12日、UAEリーグのバニーヤースSCに移籍したことが発表された[5]。契約満了によりバニーヤースを退団するとフリーとなったが、2017年2月に現役を引退し音楽活動を行っていくことを表明した[6]。
2018年7月6日、スパルタ・ロッテルダムと1年契約を結んだことを発表した[7]。
2021年1月6日、ラシン・ムルシアFCに加入[8]。
人物
[編集]ラッパーのU-Niqのアルバム「Het Kapitalisme」に収録されている「Tak Takie」という曲で歌声を披露している。また2011年にもオランダ人女性歌手とシングルをリリースした。
リヴァプールFCでプレーするジョルジニオ・ワイナルドゥムは甥にあたる。
獲得タイトル
[編集]クラブ
[編集]- レアル・マドリード
- プリメーラ・ディビシオン : 2007-08
- スペイン・スーパーカップ : 2008
代表
[編集]- U-21オランダ代表
個人
[編集]- UEFA U-21欧州選手権最優秀選手 : 2007
脚注
[編集]出典
[編集]- ^ realmadrid.jp (2010年9月1日). “公式声明:ドレンテ、エルクレスへ”. 2010年9月3日閲覧。
- ^ “ドレンテのレディング加入が決定”. Goal.com (2013年6月22日). 2013年6月22日閲覧。
- ^ “Transfer deadline day: Sheffield Wednesday sign Royston Drenthe”. BBCスポーツ (2014年9月1日). 2014年12月16日閲覧。
- ^ Royston Drenthe: Reading winger signs for Kayseri Erciyesspor BBCスポーツ 2015年1月23日付
- ^ 元レアル・マドリーのドレンテ、28歳で中東移籍が決定 Qoly 2015年9月12日
- ^ “レアル・マドリーでもプレーしたドレンテが29歳で引退表明…今後はミュージシャンとして活動”. Goal.com (2017年2月10日). 2017年4月1日閲覧。
- ^ “Sparta contracteert Royston Drenthe” (オランダ語). Sparta Rotterdam. (2018年7月6日) 2018年7月6日閲覧。
- ^ “Drenthe about to return to Spanish football”. BeSoccer (January 6, 2021). 2022年10月12日閲覧。
- ^ “Royston Drenthe jugará lo que resta de temporada en el Real Murcia”. Marca (January 30, 2022). 2022年10月12日閲覧。
外部リンク
[編集]- Real Madrid official profile
- BDFutbol profile
- ロイストン・ドレンテ - National-Football-Teams.com
- Holland stats at OnsOranje
- Royston Drenthe- player profile Transfermarkt