ロベルト (ターラント公)

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ロベルト
Roberto
ターラント公
アカイア公
ターラント公ロベルトのシール
在位 ターラント公1331年 - 1346年
アカイア公1332年 - 1364年

出生 1319/26年
死去 1364年9月10日
ナポリ王国の旗 ナポリ王国ナポリ
埋葬 ナポリ王国の旗 ナポリ王国、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会
配偶者 マリー・ド・ブルボン
家名 アンジュー=ターラント家
父親 ターラント公フィリッポ1世
母親 カトリーヌ・ド・ヴァロワ
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ターラント公ロベルトの紋章

ロベルト・ディ・ターラントイタリア語:Roberto di Taranto, 1319/26年 - 1364年9月10日[1])は、アンジュー=ターラント家ターラント公(在位:1331年 - 1346年)、アルバニア王(在位:1332年 - 1346年)、アカイア公および名目上のラテン皇帝(在位:1332年 - 1364年)。

生涯

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ロベルトはターラント公フィリッポ1世カトリーヌ・ド・ヴァロワの間の長男である[1]

1332年、叔父グラヴィーナ伯ジョヴァンニより、ロベルトはアカイア公位を引き継いだ[1]。しかしロベルトが若年であったため、1346年に亡くなるまで母カトリーヌが実質的に支配した。この時、ロベルトはラテン皇帝位を継承し、ギリシャのラテン諸国より皇帝として認められた。実際にはロベルトの権力はアカイア公位に基づくものに限られた。ナポリにおいて、1347年9月9日、ロベルトはブルボン公ルイ1世の娘マリーと結婚したが[2]、2人の間に子供は生まれなかった。1364年にロベルトが死去した時、妃マリーは公位を自身と最初の結婚で生まれた息子で保持しようとした。しかし、ロベルトの弟フィリッポ2世が正式な継承者として公位を継承した。ロベルトはナポリにおいて死去し、同地に葬られた[3]

脚注

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  1. ^ a b c Lock 1988, p. 129.
  2. ^ Topping 1975, p. 132.
  3. ^ Topping 1975, p. 141.

参考文献

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  • Lock, Peter (1988). The Franks in the Aegean: 1204-1500. Routledge 
  • Bon, Antoine (1969) (French). La Morée franque. Recherches historiques, topographiques et archéologiques sur la principauté d'Achaïe [The Frankish Morea. Historical, Topographic and Archaeological Studies on the Principality of Achaea]. Paris: De Boccard. OCLC 869621129. https://cefael.efa.gr/detail.php?site_id=1&actionID=page&serie_id=BefarA&volume_number=213&issue_number=1 
  • Topping, Peter (1975). “The Morea, 1311–1364”. A History of the Crusades, Volume III: The Fourteenth and Fifteenth Centuries. Setton, Kenneth M.; Hazard, Harry W. (eds.). Madison and London: University of Wisconsin Press. ISBN 0-299-06670-3 
先代
フィリッポ1世
ターラント公
1331年 - 1346年
次代
ルイージ
先代
ジョヴァンニ
アカイア公
〈名目上〉ラテン皇帝
1332年 - 1364年
次代
フィリッポ2世