一六日

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一六日(いちろくび)とは、毎、日付の下1の数字が1と6のである。つまり、毎月1日6日11日16日21日26日であるが、グレゴリオ暦への改暦後にのみ生じる31日は含めない[1]

単に一六、あるいは明治には一六どんたくどんたく休日の意味)とも言った。「じゅうろくにち」(16日(間))と区別するため一・六日とも書く。

一六日の慣習[編集]

江戸時代から明治初期まで、休日、稽古日、寄合日、講釈日などに当てられた。

明治政府も当初は一六日を官公庁の休日とした。明治元年1月21日(1868年2月14日)、参与の一員万里小路博房の達[2]に始まり、以降多少の例外が都度定められたが原則的に一六日を休日としていた[1]。しかし1876年(明治9年)4月より、一六日の休日を廃し、日曜日休日、土曜日を半休とした(明治9年3月12日太政官第27号達[3][1]

まもなく民間もこれに倣い、一六日の休日は姿を消した。1880年(明治13年)を舞台にした森鷗外の小説『』には、裁縫の師匠が一六に休むという叙述がある[4]

参考文献[編集]

  1. ^ a b c 宮崎貴臣 著「明治初期中央官員の休日考」、藤井徳行 編『社会系諸科学の探究』法律文化社、2010年、307-320頁。全国書誌番号:21798806https://hdl.handle.net/10132/3880 
  2. ^ 「第四十四 参退時刻休暇日并議事規程ヲ定ム」『法令全書 明治元年』内閣官報局、1887年、21頁。NDLJP:787948/59。"[第四十四] 正月二十一日(博房) 一毎日巳ノ刻出勤申ノ刻退出 一一六ノ日休 (後略)"。 
  3. ^ 「第二十七號 来ル四月ヨリ日曜日ヲ以テ休暇ト定ム」『法令全書 明治9年』内閣官報局、1887年、290頁。NDLJP:787956/199。"○第二十七號 (三月十二日 輪郭附) 従前一六日休暇ノ處来ル四月ヨリ日曜日ヲ以テ休暇ト被定候條此旨相達候事 但土曜日ハ正午十二時ヨリ休暇タルヘキ事"。 
  4. ^ 森林太郎『雁』籾山書店、1915年、202頁。NDLJP:954173/105。"師匠は日曜日に休まずに一六に休むので、弟子が集まつてゐたのである。"。 

関連項目[編集]