一已村
ウィキペディアから無料の百科事典
いちやんむら 一已村 | |
---|---|
廃止日 | 1963年5月1日 |
廃止理由 | 新設合併 雨竜郡深川町、一已村、納内村、空知郡音江村 → 深川市 |
現在の自治体 | 深川市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 北海道地方 |
都道府県 | 北海道 空知支庁 |
郡 | 雨竜郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 60 km2. |
総人口 | 8,315人 (1962年) |
隣接自治体 | 雨竜郡深川町、納内村、妹背牛町、多度志町、秩父別町、 空知郡音江村 |
一已村役場 | |
所在地 | 北海道雨竜郡一已村 |
座標 | 北緯43度43分36秒 東経142度02分58秒 / 北緯43.72658度 東経142.04939度座標: 北緯43度43分36秒 東経142度02分58秒 / 北緯43.72658度 東経142.04939度 |
ウィキプロジェクト |
一已村(いちやんむら)は、日本の北海道雨竜郡にかつて存在した村である。1963年(昭和38年)5月1日に周辺の深川町・納内村・音江村と合体(新設合併)したうえで、深川市を発足させた。
町域は、現在の深川市の西側に位置する。面積は60平方キロメートル。人口は1962年(昭和37年)時点で8,315人であった。
地名
[編集]地名「一已」(ラテン文字表記:Ichiyan)は、アイヌ語で「鮭の産卵場(鮭・鱒類の産卵穴)」を意味する ican (イチャン)に由来し[1][2]、それは石狩川の産卵床に起源を求めることができる。石狩川の上流域にあるこの地にも、秋になると鮭が遡上してくるが、産卵するときに尾鰭で川底の小石を払い除けて窪みを作り、そこに雌が卵を産み、雄が精子を掛けるのであるが、その窪みを「産卵床」といい、アイヌのいう「鮭の産卵場」と同義である。アイヌにとって鮭が極めて重要な食物であったことを考えれば、ichiyan と名付けられた土地の重要性も分かる。
明治の開拓時代、村は意気盛んな屯田兵を中心として営まれており[1]、村名を決めるにあたっては、アイヌ語地名にちなみながら、日本語で一致団結を謳うにふさわしい「一(いち)にして已(や)む」という意味になる当て字で漢字名「一已」を考案したということである[1]。
なお、北海道根室振興局管内標津郡標津町にある大字「伊茶仁(いちゃに)」は、かつて「伊茶仁村」という村であったが、この「伊茶仁」も、同じく「鮭の産卵穴」を語源とする地名である[1]。
歴史
[編集]- 1906年(明治39年)4月1日 - 雨竜郡にて北海道二級町村制が施行され、当地では一已村が成立する。
- 1915年(大正4年)4月1日 - 一已村から多度志村(二級)が分立。
- 1920年(大正9年)6月1日 - 一已村から納内村(二級)が分立。
- 1921年(大正10年)4月1日 - 一已村が一級村に移行する。
- 1955年(昭和30年)7月20日 - 一已村域(現・深川市一已町一已)にて、日本国有鉄道留萠本線(現・留萌本線)の深川駅 - 秩父別駅間の、北一己駅(現・北一已駅)が新設開業する。
- 1963年(昭和38年)5月1日 - 空知郡の音江村、雨竜郡の深川町・一已村・納内村が、合体(新設合併)したうえで、深川市を発足させる。旧一已村域は、北海道空知総合振興局管内深川市一已町[* 1](大字一已町)となり、旧域の各地区は小字となる。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 北一己駅が荷物取り扱いを廃止。同時に、閉塞合理化に伴う交換設備廃止によって無人駅化される。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、北一己駅がJR北海道に継承される。
- 1997年(平成9年)4月1日 - 留萠本線が路線名を「留萌本線」に改称すると、これに合わせて、北一己駅(きたいちゃん えき)は北一已駅(きたいちやん えき)に改称する。
地区
[編集][北新地区]
- 東日向、西日向
- 東共成、西共成
- 中ノ沢
- 一北星、二北星、三北星、西北星、新星
- 常盤
[入志別地区]
- 東岩山
- 東区、東一区、東二区
- 東水源
- 東石狩、西石狩
- 西入志別
- 北出雲、南出雲
[一已地区]
- 岩山
- 大師
- 二十四考
- 北水源、南水源
- 開進
- 達府
- 豊泉
- 昇保
- 桜坂
- 桜町
- 稲穂
- 五月
- 共進
郵便事業
[編集]- 一已郵便局 - 深川市四条12-12に所在。かつて当地域の郵便物集配は一已郵便局が担っていたが、今では無集配郵便局となっており、同事業は深川郵便局が行なっている。
交通
[編集]- 最寄駅は北一已駅。
地域にゆかりのある著名人
[編集]出身著名人
[編集]- 藤井松太郎 - 1903年(明治36年)10月5日生まれ。鉄道技術者。官僚(鉄道省官僚、日本国有鉄道第7代総裁等)。実業家(日本交通技術会社社長)。
- 石水幸安 - 実業家。石屋製菓創業者
- 加藤義秀 - 陸軍軍人(少将)。元全日本ボウリング協会理事[3]
- 松島正幸 - 洋画家[4]
- 金剛正裕 - 元大相撲力士(関脇)、年寄二所ノ関(10代)
ゆかりのある人物
[編集]- 玉置浩二 - ミュージシャン。旭川市生まれ。父方の曽祖父が、1895年に和歌山県から一已村に屯田兵として入植[5]
- 山口昭 - 実業家。旧・木の城たいせつ創業者。浜益郡浜益村(原・石狩市浜益区)生まれ。父方の祖父が、1895年に石川県から一已村に屯田兵として入植[6]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 深川市一已町一已(地図 - Google マップ)