一方井村
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いっかたいむら 一方井村 | |
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廃止日 | 1955年7月21日 |
廃止理由 | 新設合併 一方井村、沼宮内町、川口村、御堂村 → 岩手町 |
現在の自治体 | 岩手町 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 岩手県 |
郡 | 岩手郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 60.63 km2. |
総人口 | 4,405人 (『岩手県町村合併誌』、1955年5月) |
隣接自治体 | 岩手郡:御堂村、川口村、玉山村、大更村、平舘村、寺田村 |
一方井村役場 | |
所在地 | 岩手県岩手郡一方井村一方井第14地割67 |
座標 | 北緯39度58分11秒 東経141度10分05秒 / 北緯39.96972度 東経141.16797度座標: 北緯39度58分11秒 東経141度10分05秒 / 北緯39.96972度 東経141.16797度 |
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一方井村(いっかたいむら)は、昭和30年(1955年)まで岩手県岩手郡の北部に存在していた村。現在の岩手町一方井・黒石・黒内・土川・葉木田・坊の各地区にあたる。
沿革
[編集]- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、一方井村・黒石村・黒内村・土川村・葉木田村・坊村の計6か村が合併して新制の北岩手郡一方井村が発足。
- 明治29年(1896年)3月29日[矛盾 ][矛盾 ] - 北岩手郡と南岩手郡が合併して岩手郡が復活。岩手郡一方井村となる。
- 昭和30年(1955年)7月21日 - 沼宮内町・川口村・御堂村と合併し、岩手町となる。
行政
[編集]歴代村長
[編集]代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 田村 | 明治22年(1889年)5月15日 | ||
2 | 今松広海 | 明治30年(1897年)5月6日 | ||
3 | 千葉半助 | 明治35年(1902年)3月25日 | ||
4 | 田村貞庸 | 明治36年(1903年)1月9日 | ||
5 | 山本忠助 | 明治40年(1907年)7月2日 | ||
6 | 田村貞庸 | 明治40年(1907年)12月14日 | 再任 | |
7 | 三浦亀次郎 | 明治44年(1911年)9月1日 | ||
8 | 田村貞庸 | 明治44年(1911年)11月15日 | 三任 | |
9 | 立花種吉 | 大正4年(1915年)7月15日 | ||
10 | 千葉忠衛 | 大正6年(1917年)4月14日 | ||
11 | 千葉賢次郎 | 大正10年(1921年)5月17日 | ||
12 | 田村貞庸 | 大正11年(1922年)11月24日 | 四任 | |
13 | 千葉誠士 | 昭和17年(1942年)11月6日 | ||
14 | 千葉清記 | 昭和22年(1947年)4月7日 | ||
15 | 田中富蔵 | 昭和24年(1949年)1月7日 | ||
16 | 千葉誠士 | 昭和28年(1953年)1月14日 | 昭和30年(1955年)7月20日 | 再任 |
参考文献
[編集]- 『岩手県町村合併誌』(岩手県総務部地方課、1957)