三遊亭市馬 (4代目)

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四代目 三遊亭さんゆうてい 市馬いちば
本名 岸 正次郎
生年月日 1913年2月28日
没年月日 (1987-01-24) 1987年1月24日(73歳没)
出身地 日本の旗 日本
死没地 日本の旗 日本群馬県
師匠 七代目林家正蔵
林家彦六
名跡 1. 林家正二郎
(? - 1952年)
2. 林家正蝶
(1952年 - 1961年)
3. 四代目三遊亭市馬
(1961年 - 1964年)
出囃子 猫じゃ猫じゃ
活動期間 ? - 1964年
所属 落語協会

四代目 三遊亭 市馬(さんゆうてい いちば、1913年2月28日 - 1987年1月24日[1])は元落語家。本名:岸 正次郎[2]

経歴[編集]

元は天狗連出身[1]。そのまま噺家になるつもりだったが戦争中でかなわず、海軍に所属した。

戦後ようやく七代目林家正蔵に入門し、念願の噺家になる。すでに中年に達し、妻子を持つ身だった[2]。本名をもじった林家正二郎の前座名を与えられた。木村屋總本店でアルバイトをし、一家でパンを分け合いながら下積み時代をしのいだ[2]1951年、七代目正蔵が没したため、八代目林家正蔵門下に転じ、翌年4月、正蝶と改名して二ツ目。 

1961年5月、真打昇進で四代目三遊亭市馬襲名[1]。彼の前に活動した落語家に三代目柳亭市馬がいたが、亭号を三遊亭とした。

1964年[1]に突如廃業し、落語協会の事務員となった。最晩年は事務員も廃業し、群馬県で隠居生活をしていた[1]

1987年1月24日、心不全のため死去。師匠彦六を敬愛しており、自身が亡くなった時に師匠同様に群馬大学医学部に献体された。

芸歴[編集]

人物[編集]

芸人符牒でいうところのロセンが当時の「落語界一[2]」大きかったため、俗に「ロセンの市馬」と呼ばれた。自身もロセンにまつわるホラ話をするのを好み、「背泳ぎをして隅田川を泳いでいたら勝鬨橋が開いた」とか「夫婦喧嘩すると(略)根本まで入れちゃうぞというと、かみさんが謝る」[2]などと吹聴し、楽屋を笑わせていたという。また、裸の写真を持ち歩いては芸人に見せびらかしていたという。

前述の通り太平洋戦争前から天狗連で活躍しており、客を掴むことがうまく独特の味があった。

脚注[編集]

注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 三遊亭 市馬(代数不詳) コトバンク - 典拠は日外アソシエーツ『新撰 芸能人物事典 明治~平成』。同資料では1913年生まれの三遊亭市馬の本名を前座名と同じ「岸正郎」としている。
  2. ^ a b c d e 立川談志『談志楽屋噺』(文春文庫、1990年)pp.69-70