上野豊岡藩
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上野豊岡藩(こうづけとよおかはん)は、上野(現在の群馬県高崎市下豊岡町常安寺)に存在した藩。
藩史[編集]
慶長7年(1602年)、根津政直(松鴎軒)の子である根津信政は5000石加増により1万石の大名となり、上野豊岡藩を立藩した。
信政の没後、息子政次が2代藩主となるが早世、さらに養子となった弟・信直が家督を継ぐものの、寛永3年(1626年)4月(異説として寛永2年(1625年))に病死した。
信直には嗣子がなく、根津家は無嗣断絶で改易となり、上野豊岡藩は廃藩・幕府領となった。
歴代藩主[編集]
- 根津氏
譜代 1万石
陣屋[編集]
- 上野豊岡陣屋跡[1]