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中山 忠尹(なかやま ただまさ、宝暦6年9月25日(1756年10月8日) - 文化6年10月20日(1809年11月27日))は、江戸時代後期の公卿。中山家22代当主。官位は正二位、権大納言。
天明元年(1781年)、参議に昇り公卿に列する。天明5年(1785年)に権中納言、寛政3年(1791年)に権大納言に任命される。寛政6年(1794年)より賀茂伝奏を兼務、寛政8年(1796年)に辞する。寛政10年(1798年)に権大納言を辞して散位となる。文化6年(1809年)、54歳で死去[1]。
- ^ 『公卿補任』